「ただいま、杏」
「おかえりお姉ちゃん。部活どうだった?」
「うん!今日もバッチリ!」
笑顔で答えるお姉ちゃんの手には、丸められた道着。
もうすぐ大会だからか、普段よりも気合いが入っているのが私にも分かった。
「あ、几帳面もお帰り」
「おう、ただいま…って!誰が几帳面だ、誰が!」
「コイツも一緒だなんて珍しいね?お姉ちゃん」
「シカトかよ…」
「うん。たまたまサッカー部も同じ時間に練習終わったみたいで、偶然昇降口で会ったんだ」
「…へーえ、そっかー。新ちゃん、お姉ちゃんの事待ち伏せしてたんだ?」
「んなっ…!」
私が肘で小突くと、途端に真っ赤になる新ちゃんの顔。
ほんっとにいじりがいがあるよねー、この人。
「バ、バカ言ってんじゃねーよ!おおお、俺がんな事するわけねーだろ!?」
「そっ、そうよ杏!偶然よ、偶然!」
「あははは!新ちゃんもお姉ちゃんも、顔が真っ赤で面白ーい!」
「やっ、やめなさい杏っ!」
慌てたお姉ちゃんが、私の口を押さえつけてきた。
…こんなに手が熱くなってる。
「…ところで杏」
「うん?」
「そちらの方はどなた?」
お姉ちゃんの視線を辿ると、キョトンとした顔で佇んでる快斗くんの姿。
あ…いけない、忘れてた…。
「ご、ごめん快斗くん…えっと、2人に紹介するね!この人は」
「どうも初めまして。黒羽快斗と申します。以後、お見知りおきを…」
「は、はあ…?」
「いやぁ、こんな所で杏さんのお姉様にお会い出来るなんて、今日の僕は何て運が良いんでしょう」
「ど、どうも…」
素早くお姉ちゃんの両手を取り、凛々しい顔で挨拶を交わす快斗くん。
その様子に、私は思わず新ちゃんと顔を見合わせてお互いに眉をひそめた。
…ふん、やっぱ軽い男だ。
「ね、ねぇ杏。黒羽くんって同じ学校?」
「ううん。江古田」
「えっ…じゃあもしかして!?」
「うん。この前話した、酔っ払ってた私のそばにずっとついててくれてたのが、この快斗くん」
「そ、そうだったの!?」
でも今日のデート、きちんとお礼になったのかな…。
映画もタダだったし、喫茶店の支払いも快斗くんが済ませちゃったし…。
「その節は本当にありがとうございました。改めまして、杏の双子の姉の毛利蘭です」
「ふ、双子ぉ!?」
「「…え?」」
「あ、いや…ぜ、全然似てねぇなーって思ってちょっとビックリっていうか…」
似てないのは私も自覚してるし、別に何とも思わない……けど、おっぱいだけは似て欲しかったなぁなんて思ったり思わなかったり。
「ふふっ!よく言われるんですけど、れっきとした双子なんですよ?」
「あ、お姉ちゃん。快斗くんは私達と同じ2年生だから敬語じゃなくて平気だよ」
「えっ、そうなの!?やだ、随分大人っぽいから高校生に見えちゃった…。ごめんね?」
「ああいや、別にいいって!んじゃ、知り合った記念に…」
そう言ってポン、と2本の白い薔薇を出した快斗くん。
その薔薇を、1つはお姉ちゃんの髪に。
もう1つは、新ちゃんの胸ポケットにそれぞれ挿した。
「はい!新郎新婦の入場でぇーす!」
「「なっ…!?」」
「…ふふっ!」
何とも粋な演出に思わず吹き出してしまった。
ちょっ、笑いが止まらないじゃん…!
「お2人さん、すっげーお似合いだな!まさにベストカップル!」
「ちょっ、黒羽くん…!」
「…新ちゃん、お姉ちゃんを幸せにしてあげてね」
「ざけんな!誰がこんな空手バカと結婚なんかぐはあっ!」
「おーほほほ!だーれが空手バカですって〜?」
2人の掛け合いにまた笑いが込み上げてきて、何となく快斗くんを見ると、彼も私と同じように肩を揺らして笑っていた。
コロコロと笑う、快斗くんの笑顔。
その子供みたく笑う顔を見て、私もつられて笑みが零れた。
「杏ーーっ!!」
その時、私を呼ぶ声と共に階段を物凄い勢いで駆け降りる…いや、転げ落ちる音が響いた。
「…あ、お父さんただい、」
「こここっコイツはどこの誰だ!?どこの馬の骨だっ!!」
「…は?」
「おい貴様っ!」
「うわっ!」
「うちの娘をたぶらかし酒浸りにさせ、挙げ句の果てに生意気にさせたのはテメェか!」
「ちょっとお父さん!やめなさいよいきなり!」
「そ、そうだよ!快斗くんは私が江古田で変質者に襲われないように見張っててくれた恩人なんだからそんな事しないで!」
「へっ、変質者ぁ!?まさかテメェ…!」
「ぐがっ、」
「それを理由に娘を脅し、あわよくば杏の体を頂こうとか不埒な事考えてんじゃねぇだろーなぁ!?」
「めっ、めめめめ滅相もありません!僕はそんな下心なんかっ…!」
「ふん!どうだかなぁ!?」
「し、信じて下さい!僕はお嬢さんとは純度の高いお付き合いをさせて頂いておりましてそれはもう中学生らしくピュアで健全な」
「なっ、何ぃ!?おい杏!お前この男と付き合っ」
「無い。快斗くんはただの友達」
「……」
「……」
私の言葉に目を点にする2人。
…え、何か変な事言った?
「…ゴホン!と、とにかく!杏を守ってもらった事に対しては礼を言うが、うちの娘をテメェみたいな馬の骨になんか渡さねぇからな!これ以上妙ちくりんな野郎がうちの敷居を跨ぐ事は断じて許さんっ!」
「お、お父さん!お言葉ですが僕にはちゃんと黒羽快斗という名前がありまして決して馬の骨などでは」
「うっ、ウルセェ!テメェなんかに父親呼ばわりされる義理はねぇ!おい杏!お前は当分外出禁止だ!いいな!?」
「はぁ!?何で!?門限守ったじゃん!」
「そうよお父さん!それじゃあ杏が可哀想よ!」
「あーウルセェ!ウルセェ!ウルセェ!!いいかお前ら!!子供には人権はあるが権利なんてもんはねぇんだよ!ガキの分際で親に口答えするな!」
「…」
「…」
「…」
「…」
お父さんの理不尽なセリフに、私含めここにいる全員が固まる。
…ああ、色々と問題発言してしまったよこのクソオヤジ。
っていうか、何故外出禁止!?
門限守ったのに!
「おら!とっとと部屋に入れ杏!」
「ちょっ、お父さん痛いよ離して!」
「待って杏ちゃん!」
「…え?」
お父さんに無理矢理家の中へと連れ込まれそうになった瞬間、快斗くんが大きな声で私を呼び止めた。
「俺、今日すっげー楽しかった!」
「…へ?」
「杏ちゃんとデート出来て、すっごい嬉しかった!!」
予期してなかった、快斗くんからの突然の言葉。
驚いて頭がフリーズする中、デートという単語に大騒ぎするお父さんに引き摺られ、家の中へと押し込められた。
「おい!何でオメーまでうちん中入ってくんだよ!とっとと帰れ!」
「いいじゃないお父さん!新一も一緒に夕飯食べてくって事になったんだもん!」
「テメェの親はどーした!?」
「だから何度も言ってるでしょ!?新一のご両親は春休み前に海外に引っ越したって!」
こんなくだらない言い争いに巻き込まれて堪るか。
後ろでお父さんとお姉ちゃんが言い争う中、事務所の窓を開けた。
「待って快斗くん!」
私に呼び止められて、事務所を見上げる快斗くんの碧い瞳。
途端に私の心臓が速く鳴り出したのは、多分、これから口に出そうとしている言葉のせいなのかもしれない。
「その、えっと…。わ、私も!」
「え?」
−お前って、つまんない女だよな−
さっき快斗くんに言われた言葉を聞いて、いつも胸に引っ掛かっていた言葉を思い出した。
相手の顔も名前も忘れてしまったけど、この台詞を言われる度に、これは私のせいなんかじゃない。
そんな風に思う相手が悪いんだ、って。
いつまでも相手のせいにしてばかりいた自分自身。
「私も楽しかったよ!」
でも本当は、どうすれば、私と向き合ってくれるのか聞きたかった。
それなのにいつしか諦めてしまって、自分は退屈な女なんだと、決めつける様になっていた。
「快斗くんと一緒にいて、すっごく楽しかったし嬉しかった!!」
だけど、快斗くんは私に楽しかったと言ってくれた。
デート終わりの常套句かもしれないけど、やっぱり、嬉しいものは嬉しくて…。
「だ…だから!ま、またメールしても…いいかな!?」
黒羽快斗には幼なじみの女の子がいるから、私という存在が介入する事は許されないのかもしれない。
だけど、自分の中で湧き上がる気持ちを、何となく信じたかった。
自分もこうやって、素直になってみてもいいんじゃないか、と。
そう思えたのは、快斗くんの言葉のお陰なんじゃないかと思う。
「もちろん!また絶対どっか行こうな!」
太陽みたいで、子供みたいな無邪気な笑顔を残して、快斗くんは帰っていった。
彼のキラキラ笑顔がもっと見たい。
他にも色々な表情、仕草。
何より、もっと一緒にいたいと思う事は、おかしいのだろうか。
帰っていく快斗くんの後ろ姿を見送りながら、自分自身に問い掛けた。