夕日が差し込み、オレンジ色に染まる廊下。
そこで私は、何かを必死になって探していた。
「もー…どこにいっちゃったんだろう…」
面倒そうに呟きながら、自分の視点が床を行き来する。
これは……夢、だろうか。
学校の廊下で這いつくばって探し物なんて、した覚えは無い。
「あれ?毛利さんじゃない」
「え…?」
「どうかしたの?」
焦りながら探し物をする私に、誰かが声をかけてきた。
「あ…実は、コンタクトを落としちゃって…」
「えっ、マジで!?大変じゃん!」
そう言って、その“誰か”は私と同じ様に床を探した。
顔は……ボヤけていて、よく見えない。
夕日に目が眩んでるのだろうと思ったけれど、ちっとも見える気配が無かった。
「あっ!あった!」
「…え?」
「あったよ毛利さん!!」
彼女は、とても嬉しそうに駆け寄り、私に小さなコンタクトレンズを差し出した。
「はい!もう落としちゃダメだよ?」
「あ…あり、がとう…」
掌に置かれたコンタクトレンズは、中心がエメラルド色に色付けされている。
これは……カラコン?
「毛利さんって、オッドアイだったんだ?」
「あ…う、うん…」
「それ、カラコンでしょ?どうして隠してたの?」
「え、と…その…しょ、小学生の時…クラスの男の子に、からかわれた事があって…それで…」
話し慣れてない相手なのだろうか。
うまく口が回らない私は、必死に相手に説明をする。
「このカラコンは…その、お…親に無理言って…買ってもらった物だから…」
「…」
「だから、失くしたら、怒られるから…」
「…そうなんだ。でも良かったじゃん、見つかって」
「う、うん…」
「じゃああたし、行くね?」
「あ…」
まだ新品同様のピカピカな通学鞄を持って、誰か≠ヘ私から離れていく。
「あ、あの…!」
「うん?」
声をかけたのと同時に、自分の心臓が、早鐘を打ち始めたのがわかった。
「あの…っ、ありがとう!」
「…え?」
「拾ってくれて…ありがとう!!」
ボヤけていた視界が、まるで晴れ渡る様にクリアになっていく。
「ふふっ、どういたしまして!」
子供らしい無邪気な笑顔を、誰か≠ヘ…ううん、彼女≠ヘ私に向けた。
オレンジ色に輝く彼女の笑顔。
それは、廊下に反射する夕日に負けないぐらい、キラキラと輝いていた。
「ぅ、ん…」
「あ、気が付いた?」
目を開け、まず最初に見たのは真っ白い天井だった。
身体中がズキズキと痛むのを感じながら、自分が柔らかい場所に寝かされている事を理解する。
…あれ?
私…確か屋上にいた気が…。
「具合はどう?まだ動けないようならしばらく休んでいって構わないけど…」
「…あの」
「ん?」
「ここ…保健室、ですか?」
「ええ、そうよ。3年の富田さんが運んできてくれたの。真っ青になって気を失ってるあなたをね」
…トミ子が?
「ふふ、私驚いちゃって。ほら、彼女って見かけは華奢な体つきしてるでしょ?なのに軽々とあなたを担いでたから…」
「……」
ああ、そうだ…。
そういえば私、先輩の隣で寝転がってたら、いつの間にか意識が飛んで…。
「…ねぇ、毛利さん」
「はい…?」
「あなた…何故屋上なんかにいたの?」
「…え?」
「それに傷だらけじゃない…」
「……」
「もしかしてあなた…イジメに遭ってるの?」
天井を眺め、先生からの質問にどう答えようか思案するけれど、私が返事をする事は無く、ただ。
規則正しく動く時計の音だけが、虚しく響いていた。
「…そういえば、あなたが眠っている間、毛利さんと鈴木さんが休み時間の度に来てくれてたわよ」
…お姉ちゃんと園子が?
「2人共すごく心配そうにあなたに付き添ってたけど、部活があるからって言って戻って行ったわ」
「…そう、ですか」
時計を見ると、既に夕方の6時過ぎを指していた。
……寝過ぎた。
「部活が終わったら迎えに来るって言ってたけど……って、毛利さんちょっと!」
「もうこんな時間なんで、帰ります。お姉ちゃん達が来たら先に帰ったって伝えて下さい」
「で、でもあなた…」
「ご迷惑おかけしました。失礼します」
「あ、ねぇ毛利さん待ちなさい!」
「…何ですか?」
「あなた、親御さんは話したの?」
「……」
「親御さんに打ち明けにくい気持ちは分かるけど、きっとあなたの事を理解してくれるわ!どうしても話しづらいなら、まずは担任の先生にお話を」
「さっきから何の話をしてるんですか?先生…」
「…え?」
「イジメなんて無いですよ。今朝のはちょっとした喧嘩です」
「け、喧嘩…?」
「そうですよ。私、こう見えて少しだけ空手出来るんです。お姉ちゃんほど強くは無いですけど」
「…」
−守ってくれる人がいるから平気…?よく言うわよ−
やっぱり、ダメだ。
−あんた言ったよねぇ?自分には新ちゃんとお姉ちゃんがついてるから、無闇に手出しは出来ないって−
私はまだ、何も掴んでない。
「失礼します…」
「あ、毛利さん!」
ベッドの近くに置いてあった鞄を掴み、急いで保健室を出た。
気味が悪いぐらいに、静まり返った廊下。
…外は既に薄暗い。
ふと腕時計を見ると、ヒビが入って壊れていた。
きっと蹴られた時に壊れたのだろう。
手でお腹庇ってたし…。
ズキズキと痛むお腹を摩りながら、壊れた腕時計を廊下の隅に置かれたゴミ箱に投げ捨てた。
−それとも何?あの事をバラされるのが怖いから呼べないわけ?−
彼女の言っていたあの事って…何?
もしかして私は、何も知らない状態で誤解を…?
−まだ自分は何も悪くないとか思ってんの?散々周りの人間騙してきた癖に、何もかも全部無かった事にするわけ?−
彼女の言う事が真実ならば、私にはそれを知る権利がある。
けれど…ダメだ。
知りたくても、私が聞きたい事は彼女以外誰も知らないから。
−親御さんに打ち明けにくい気持ちは分かるけど…−
「…」
私は一体、何をしようとしていたのだろう…。
−どうしても話しづらいなら、まずは担任の先生にお話を…−
担任の先生に話せば、解決する…?
そこまで考えて、私は自分の考えていた事が如何に浅はかだったか思い知らされた気がした。
確かにあの先生だったら、私の訴えに、耳を傾けてくれるかもしれない。
父親は警視庁の偉い人だと言ってたし、きっと責任感も強いだろう。
他の先生より、よっぽど信頼出来る。
でも…そしたら先生は、担任として、あいつらを叱るに違いない。
そんな事をしたら…私は、またアイツらに…。
「…」
−あの…っ、ありがとう!−
−…え?−
−拾ってくれて…ありがとう!!−
あれは、夢なんかじゃない。
恐らく毛利杏≠フ記憶のカケラだ…。
彼女と私は、元々は険悪な関係では無かったんだ…。
それが何かがきっかけで、今の様な状態になってしまったとするなら、何が原因だったのかが知りたい。
きっと私は、何か重要な事を見落としているのかもしれない。
「…あれ?」
そんな事をボンヤリと考えながら昇降口まで来ると、文庫本片手に壁に寄りかかってる新ちゃんの姿が見えた。