−4月から高校に復帰する事になるかもしれねぇんだ−
新一とまた通学出来る事はもちろん嬉しいし、早く元の高校生に戻って欲しいとはいつも思ってた。
「…痛っ!」
「優月大丈夫!?」
「う、うん。平気…」
「でも結構血が出てるよ!?待ってて!絆創膏持ってくるから!」
走り去る蘭の背中を見ながら、自分のドジっぷりに思わずため息が出た。
…何やってるんだろ。
普通なら絶対に切らないはずの小指をザックリやっちゃうなんて…。
「はい、絆創膏」
「あ、ありがとう…」
今日だってそう。
私から蘭に夕飯の準備を手伝うって言ったのに、結局迷惑かけてしまった。
考え事をしながら包丁を動かすのは危険だって、新一にも毎日言われてたはずなのに…。
「自分で貼れる?」
「うん、大丈夫。蘭は準備進めてて?」
「じゃあ貼ったら冷蔵庫から適当に野菜選んでサラダ作っといてくれる?私はお風呂掃除してくるから」
「ん、分かった…」
貼ったばかりの絆創膏を上からギュッと押さえつけると、ジワリと赤い染みが広がった。
−父さんと、約束したんだ。3月までに何がなんでも組織を潰すって…−
ほんの少しだけど、気持ちの端っこでは戸惑いがある。
新一と哀ちゃんがタッグを組んで組織の事を色々と調べていたのは、博士から少しだけ聞いていたから分かってた。
だから、いつかは新一からこういう話をされるって事も分かってたし、それと同時に、そう簡単には掴めない組織なんだなって事も、私なりに覚悟はしてた。
…でも、やっぱ心の準備、っていうか…。
私の中では何年もかかる事なんだろうなと思ってたし、まさか新一が優作さんに頼むなんて、意外すぎて…。
「ごめんお待たせ!…あれ?優月、サラダは?」
「あっ!ご、ごめん!今すぐ作るね!」
急いで冷蔵庫から野菜を取り出すと、蘭はさりげなく私の手から野菜を受け取りまな板に置いた。
「…また新一と何かあった?」
「え!?なっ、何で…」
「ふふっ、ほんっと優月も新一も分かりやすいよね。まぁ私としてはその方が助かるから良いんだけど」
「…そ、そんなに分かりやすい?」
「そりゃあもう!逆にこっちから聞いていいのか不安になっちゃうぐらいだよ」
「あ…ご、ごめん…」
新一は蘭に言ったのかな…復帰の事…。
でも蘭から何も言ってこないって事は、まだ聞いてないのかも…。
「…あの、実はね蘭」
「さて、と。夕飯出来たからコナンくん呼んでくるね。お皿並べといて?」
「あ…う、ん」
まぁ、いっか…。
新一から具体的に話を聞いてからでも遅くはないし…。
少しだけモヤモヤした気分のまま、蘭とコナンくんの3人でテーブルを囲った。
「「ご馳走様でした〜」」
「お粗末さまでした!じゃあデザートに優月が持ってきてくれたケーキ出すね。今切ってくるから待ってて」
「はーい」
あんなにモヤモヤした気持ちが一瞬で切り替わり、今は食後のケーキが待ちきれない。
きっと蘭の作る和食がプロ並みに美味しいから、こんなに幸せな気持ちになるんだろうな。
今度教えてもらおうっと!
「あのさ、優月…」
「うん?」
「…これ、なんだけど」
「え?」
ああ、進路調査書…。
「ねぇ、ゴリラに渡す前に私も見ていい?」
「あ、ああ…」
新一はそう言って、顔を逸らしてしまった。
…何よ、その態度。
私に見られたくなさそうな雰囲気出しちゃってさ!
「……えっ…」
紙に書かれた文字を読んだ瞬間、これは何かの冗談じゃないかと目を疑った。
だけど、目の前には神妙な顔で黙りこくったままの新一がいて…そして、私の手元にある“これ”。
それを見た瞬間、ああ、冗談なんかじゃないんだと、意外と冷静に理解出来た。
「し、新一…。どういう…事?これ…」
震える声を必死に絞り出しながら聞くと、ギュッと握られた新一の拳に、更に力が籠った様な気がした。
「…夏休みが明けてからなんだ。高校を卒業してからって本格的に考え出したのは」
「え…」
知らない。
そんな話、私聞いてないよ…。
「オメーなら分かると思うけど、前々からその学校に通いたいっていう想いは自分の中で少なからずあったんだ」
「そ…んな…」
淡々と話す新一。
言葉なんか、出てこなかった。
何で?
どうして今まで言ってくれなかったの?
どうしてそんな大切な事を黙ってたの?
ただそれだけが、グルグルと頭の中を駆け巡るばかり。
肝心な事を聞く事が出来ないまま、震える手を抑える事に必死だった。
「もう父さんや母さんには話してあるから…」
「ちょ、ちょっと待ってよ!私何も聞いてない!何で話してくれなかったの!?いきなり言われたってそんな」
「優月」
新一の真っ直ぐな瞳が、私に向けられた。
「俺は卒業したらイギリスに行く。その考えはこれからもずっと、変わる事は無い」
心臓の動きが加速しだして、頭の中がクラクラする。
何も考えられなくなって、何も言えなくなって。
ただただ新一の真っ直ぐな瞳を見つめるしか無かった。
「それと、これ…」
「2人共お待たせー!」
新一が何かを言いかけた瞬間、お盆にケーキとティーカップを乗せて戻って来た蘭。
「優月ごめんね?紅茶の葉切らしてる事すっかり忘れてて…。コーヒーでもいい?」
…無理だよ。
今日はもう、笑う事なんて出来ない。
「…私、帰る」
「え?」
「ごめんね蘭、急に用事思い出しちゃって…。ご馳走様」
「ちょっ、優月!?」
大好きなケーキを目の前にしても、すすんで食べる気なんて一切湧かなかった。
新一は、今小さくなってるけど4月から復学する。
でもその話は今日聞いたばっかりで…。
だから、高校を卒業したあとの事なんてまともに話し合ったりしてなかったし、そんな事話し合うなんて思考さえ、働かなかった…。
「…何で?」
新一が分かんないよ…。
何でこんな大事な事、勝手に決めちゃうの?
何で私に一言相談してくれなかったの?
また私を、1人にする気なの…?
茫然としたまま歩く、事務所からの帰り道。
第1希望と第2希望にロンドンの大学が書かれた進路調査書を静かにカバンの中にしまい込み、夜の米花町に浮かぶ月を見上げた。