「オメーここに来るの久しぶりだろ?」
そう言って新一に連れてこられた場所を見渡す。
そこは紛れもなく、あの想い出の丘だった。
新一の言う通り、この場所に来るのは本当に久しぶりだった。
「夜中に来た事なんて無かったから、初めてに等しいかも…」
キラキラ光る、この場所から眺める初めての夜景に胸が震えた。
こんなにもキレイだったなんて、全然知らなかった…。
「すっごくキレイ…!ねえ、新一は夜に来た事って…」
隣に並んでる新一に聞こうと振り向くと、とても悲しい表情をしながら夜景を眺めていた。
同時に、変な胸騒ぎを覚える。
これから起きる事が、私達2人にとって、良くない事なんじゃないか…って予感。
「…バイオリン」
「…へっ?」
「弾いてくれねぇか?オメーのバイオリンが久しぶりに聴きたい」
予想もしていなかった、新一からの突然のリクエスト。
わざわざバイオリンを持ってきた理由って、それ…?
「…な、何で?」
「何でも。…弾いてくれよ」
「え、いや、えっと…い、今?」
「今」
「こ、ここで?」
「ここで」
「…な、何で」
「いーからさっさと弾け」
「は、はいっ!」
…って言われても。
「何かリクエストある?」
「あー…アメイジング・グレイス以外」
な、なんか妙に具体的なリクエストね…。
うーん、どうしようかな…。
最近弾いてなかったせいか、パッと思いつく曲がなかなか出てこない。
「あ…あれがいい。Moon River」
「え?」
「弾いてくれよ、ちょうど月がキレイだし」
「…うん、わかった」
月の光が優しく降り注ぐ中、バイオリンを構え、静かに弓を弾いた。
久々に弦を弾く感触に口元が緩むのを感じながら、夜の空に吸い込まれる音色と心を一体にする。
…思えば、星空の下でバイオリンを弾くのは初めてだ。
そういえばこの曲を初めて弾いた時、全然指が動かなくて挫折しそうになったなぁ、とか、初めて最後まで弾けた時、叔母さんにすっごく褒められたっけなぁ、とか。
そんな、遠い、遠い昔の事を思い出しながら、Moon Riverの最後の小節を弾き終えた。
「オメーさぁ、」
約3分間、ただ黙って私の演奏するMoon Riverに耳を傾けていた新一が口を開いた。
「途中から俺の存在忘れてただろ?」
「ああ、うん。実はわりとすぐ」
「…別にいーけどさ」
「あはは、ごめんごめん…」
でも弾けって言ったのはそっちじゃない。
…なんて絶対言えない!
言ったらまた頬っぺた限界まで伸ばされて仕舞いには首締められる…!!
「でも何で突然バイオリンが聴きたいなんて言ったの?」
「…どうしても、ここで聴きたくてな。優月のバイオリンの音色を」
「…そっか」
両手を頭の後ろで組みながら、夜景を眺める新一。
こうやって、特に何もせず新一とのんびりするのって久しぶりかもしれない。
「こうして並んで座ってるとあの頃思い出すね?」
「そうだな…」
きちんと手入れされた木。
ゆっくりと吹く風のにおい。
ここから見える景色は、あの頃と全く変わらない。
変わったのは、私達2人。
あの頃より背も高くなって、体も大きくなったから、あの頃は少し余裕のあったベンチが、ちょうどいい幅になった。
新一も、いつの間にか見上げるほど大きくなって、離れていた時間がどれだけ長かったかが分かる。
「新一」
「ん?」
新一の為に、私がしてあげられる事。
「…待ってるから」
「…え?」
「新一がイギリスから帰ってくるの、私待ってるから」
応援してあげたい。
夢を追う、彼の背中を押してあげたい。
その気持ちに、嘘偽りは無い。
「だから…。本気で頑張ってね」
「…」
「でも新一ぐらい頭良かったら、わざわざ気張らなくても大丈夫だとは思うけどさ?」
泣いちゃ駄目だ。
あの時だって、新一は私がつらくならないように、必死に涙を堪えてくれたじゃない。
「だから…絶対なってね。ホームズ、みたいな、探偵に…」
ダメだってば。
泣いたって仕方ないじゃない。
困らせたら、新一は悲しい顔をしてしまう。
それなのに…
「…どうして?」
「…優月?」
もう…限界だよ…。
「何で…?何で勝手に決めちゃうの?」
新一はズルい。
「もう離れないって、約束、したじゃない…」
いつだって、私の一歩先を歩いて、どんどん勝手に進んでいってしまう。
「ずっと、私の傍から離れない、って…。私の、隣にいるって、言ったじゃない…」
やっぱり、私はワガママなままだ。
「行かないでよ…」
あの頃と、全く変わってなんかいない。
「イギリスなんか、行かないでよ…!」
行かせてあげたい想い。
行かせたくない想い。
それぞれが互いにぶつかり合って、その結果がこれ。
貪欲で、心の狭い自分。
独占欲が強くて、醜い自分。
色んな想いが混ざり合って、涙が止まらない。
「…悪ぃ、優月」
「っ…」
「いくらオメーの頼みでも、それは無理だ」
ああ、何言ってるんだろう、私…。
そうだよね。
新一は遊ぶ為にイギリスに行くんじゃない、子供の時からの夢を叶える為に行くんだもん。
「もう決めたんだ。卒業したらイギリスに行く」
何で私は、素直に送り出してあげられないんだろう…。
こんなワガママ口走って、新一困らせて…。
ほんと情け…
「オメーも一緒だ、優月」
な、い……。
「……え?」
「オメーも俺と一緒に来い」
その瞬間ざわっ、と。
私と新一の周りを、ほんのり冷たい、初秋の風が通り抜けた。