「早よ起きて優月ちゃん!」
「ぅ、ん…。何ぃ?」
「大変や!工藤くんの記憶が戻ったかもしれへんで!」
和葉ちゃんのこの言葉で一気に頭が覚醒した。
急いで着替えを済ませ、新一が向かったという村長さんの家に駆けつけると…。
「なっ…!」
血だらけになって倒れてる河内さんと、衣服に返り血を目一杯浴びた新一の姿があった。
「ど、どないしたん?めっちゃ血ぃ出てるやん!」
「説明は後や!和葉!早よここに救急車と警察を…あ、ちゃう!呼ぶんは救急車だけでええわ!」
「え?何でなん?このおばちゃん誰かにやられたんやろ?」
「見てわからへんのか!?この状況で警察呼んだら、血まみれの工藤が犯人にされてまうわ!」
それだけじゃない。
取り調べ中に薬の効果が切れたりしたら…!
「えっ、嘘…」
「お、お前まさか…」
小五郎ちゃんと和葉ちゃんが怪訝な表情で新一を見る。
新一が人を刺すだなんて、そんなの有り得ない。
それは私だって平次くんだって分かってる。
この村には、新一を恨んでる人達がたくさんいるから。
だからきっと、誰かが新一をハメたに違いない。
何者かが呼んだ救急車とパトカーのサイレンが近付く中、ずっと自分に言い聞かせるようにそう思ってた。
「それで?ここへ来た時、本当に被害者以外誰もいなかったんでしょうな?」
「あ、ああ…なあ?」
「う、うん…」
刑事さんの質問にしどろもどろになりながら受け答えする小五郎ちゃんと和葉ちゃん。
−俺は工藤と裏口から出て工藤を隠して来るわ!警察にはうまい事言うてごまかしとけよ!−
無理だよ、平次くん…。
既に玄関先に残ってた平次くんの靴跡で、刑事さん怪しんでるもん…。
「あれ…?キミ、確か高校生探偵の花宮優月さんだったよね?」
「えっ!?あ、はい…」
「ふむ…。キミはどう思う?この奇妙な事件について…」
「えっ、と…ま、まだ今の時点では何とも…」
「…そうか。じゃあとりあえず我々はその旅館に行って、キミ達と一緒にこの村に来たっていう、服部くんと工藤くんを捜しに行くとするか」
このまま警察の目を欺く事なんて出来っこない。
でも、今新一が見つかってしまったら大変な事になってしまう。
「どうやら今日、警察が来る前にあの家に行ったのは、俺達4人と被害者の河内さん。そして、あの探偵坊主しかいねぇ様だな…」
「なぁ、工藤くんの靴は昨夜この村の店で平次が買うた物や。なんぼ工藤くん隠したかてすぐに分かってまうんと」
「トリックや!誰かが工藤と河内さんをあの家に呼び出して、工藤を薬かなんかで眠らせてるスキに工藤の服着て河内さんの腹刺したんや!」
平次くんは頑張って新一の潔白を晴らそうとしてるのに、私ったら何やってるんだろ…。
こんな大変な時だっていうのに、昨日からずっと、あの違和感の事しか考えられなくて、推理なんかちっとも出来てない。
普通、恋人がこんな状況に陥ったりしたら、何が何でも私が、って。
ボロボロになるまで、がむしゃらになって、身の潔白を証明したいって思うのに、不思議とそういう気持ちが全く湧いてこない。
−新一さんは、私に…人生捧げてもいいって、思ってくれてるかな…?−
私が記憶喪失になった時、コナン…ううん、新一に聞いた時。
−うん…思ってるよきっと…−
新一は、優しく微笑んでそう答えてくれた。
−私の記憶が、一生戻らないとしたら…?−
−戻らなかったら、また2人で色々な思い出を作っていけばいい…って思ってると思うよ−
ありきたりな答えかもしれないけど、新一は私が記憶を失っても変わらない気持ちでいてくれた。
なのに、私は…?
「どうして…?」
自分の不甲斐なさに、涙が止まらなくなる。
「ちょっ、優月ちゃんどないしたん!?何で泣いてるん!?」
「ごめ…何でも、な…っ…」
何で新一と同じ事が言えないの?
どうして一緒にいたくない、って思ってしまうの?
勝手に留学する事を決められたから?
ずっと話してくれなかったから?
そんな事で私の気持ちは冷めてしまったの?
「どうしたら…いいの…?私…私っ…」
分かんない…。
分かんないよぉ…。
「やっぱり、死羅神様に会わなアカンやろか…」
「っ…!」
死羅神様…。
そうよ、死羅神様に会えば…!
「あれ?優月ちゃん…?」
昼間とはいえ、木が密集する森の中は薄暗く、不気味な雰囲気を醸し出していた。
−陽のある内に森へ行け。死羅神様の姿を目にしたら、声を限りに呼び止めろ。曇りなき澄んだ心で祈り続ければ、その縛めは解かれん−
周りから見たら、バカじゃないの?って思うのかもしれない。
架空の人物に頼るなんて、そんなの子供が考える事だ、って。
もちろん私だって、死羅神様なんか所詮、子供が森に入って迷子にならないようにする為に村の大人達が考え出した作り話だ、って思ってる。
だけど…。
−ねぇ新ちゃん!−
−ん?−
−新ちゃんはさ、大きくなったら何になりたいの?−
−そりゃあやっぱり、ホームズみてぇな名探偵さ!−
−ほーむず?−
−ああ!ホームズはすげぇんだぜ?どんな難事件でもアッサリ解決しちまう世界最高の名探偵なんだ!−
ずっと新一が記憶喪失のままだったら、新一はロンドンに行かなくて済む。
もう新一と離れたくない。
誰よりも近くに、私のそばにいてもらいたい。
でも…それはつまり、一生夢を叶えられなくなってしまうという事。
−俺はなりてぇんだよ…ホームズみてぇな名探偵にな!−
再会した時も、昔と変わらずにキラキラと輝く瞳でそう言った新一が素敵だと思ったから…。
だから、新一が離れていく事よりも…このまま一生記憶喪失のままの方が私は…私はっ!
「…っ!」
少し離れた場所にある一本の木。
その木の枝に、黒い衣装を身に纏った白髪の人物がいた。
あれは昨日、氷川さんが言ってた死羅神様の特徴と同じ…!
「し、死羅神さ…っ!?」
意を決して呼び止めようと踏み出した瞬間、一歩先が急な坂になっていた事に気付かなかったせいで、体がガクン、と崩れ、私の体はそのまま転げ落ちてしまった。
「いったぁー…」
体に走る鋭い痛みを堪え、ゆっくりと体を起こした。
「……あ、」
血が出てる。
そっか…。
落ちた時に、枝とか石で怪我を…。
でも今はそんな事より死羅神様に会わなくちゃ…!
「おーい!優月ー!」
「どこやー!!」
崖の上から私を呼ぶ声が響いてくる。
っ、そうだ!
みんなにも協力してもらって死羅神様を探せばすぐに見つかるはず…!
「おーいみんなぁー!私はここに…っ!?」
上からみんなの呼ぶ声が聞こえる中、ガサ、ガサと誰かの足音が微かに聴こえた。
「……だ、誰?」
ガサッ、ガサッと次第に足音が大きくなる。
………誰、なの?
「っ…!!」
薄暗い森の中から足音の主が姿を現した。
その人物は紛れもなく、さっき私が見た、あの森の番人・死羅神様だった。
「や、やだ…」
新一の為に祈るとか、そんな事はもう考えられなかった。
あまりの迫力と恐怖で声が出なくて。
でも逃げなきゃ殺されるかもしれない。
這ってでも逃げなくちゃ…!
そう思って、震える手足を必死になって動かした。
「誰、か…誰か、助け…うぐっ!?」
後ろから口を塞がれ、四つん這いになってた自分の体が地面に押さえつけられる。
「んーっ!んーっ!」
平次くんや小五郎ちゃん達の声が、どんどん遠ざかってゆく。
やだ…やだっ!
戻ってよみんな!
私はここにいるのに…!
「っ…!」
助けて、新一。
心の中でそう願った直後、首筋に小さな痛みを感じ、私の意識はプツリと途切れた。