一度芽生えた恋心は、そう簡単には消せない。
ましてや子供の頃からずっと抱いていた感情なら、尚更そう。
でも、このまま新一を好きでいるのは何よりも苦しいし、惨めだし、つらい。
だからもう、この気持ちから目を逸らしていくしか無いんだと思う。
あそこに見えるロンドン塔の様に、こんな想いなんか…。
こんな、叶わない願いなんか…。
隔離しちゃえば、いいんだ…っ……。
「っ、ふ…」
さっきから、頭の中でずっと新一との想い出が駆け巡るばかりで、思いっきり泣く事さえも出来ない。
何で?どうして?
私が蘭みたいにしっかりしていれば、こんな事にはならなかったの?
私が快斗と出逢わなければ良かったの?
あのネックレスを受け取らなければ良かったの?
どんなに自問自答しても、答えなんか出て来るはずがない。
それに仮に答えが見付かったとしても、絶対に、戻る事は許されないんだ。
もう新一の気持ちは、私に向いてないし、この先どんなに願ったって…。
「っ…どうして?」
新一は私に言った。
涙を流すって事は受け入れた証拠だと。
でも私の中では、全く受け入れられてない。
なのに、どうして?
何でさっきからずっと、涙が止まらないの?
震える手で鉄柵にしがみつきながら、必死に思考を動かして答えを模索する。
…そうだ。
きっと私は、ただただ泣き続ける事で、想い出を無理矢理、過去のものにしようとしているのかもしれない。
…そうであって欲しい。
そうじゃないと、今の私には、新一の事を過去になんか出来ない。
この方法しか、思い付かないよっ…。
この前まで、私と新一の心は確かに繋がってたのに、今はもう…
この橋の様に繋がる事なんて、二度と…
「0は悲しい数字なんかじゃねぇ!!」
「…え?」
人通りがまだある、このタワー・ブリッジに響き渡った聞き慣れた声。
右を向けば、愛しくて愛しくて、堪らない人が。
息を切らせて苦しそうにしてる新一が、橋の境目の向こう側に立っていた。
「し…新、一…」
それまで自力で立つ事さえも出来ないでいた足が、不思議と立ち上がった。
新一がここに居るって事は…
私を、追いかけて来た…って事?
どうして…?
何で、私の居場所が…
「確かにテニスでのラブは0かもしれねぇ!でも0は全ての始まり、原点だ!そこから出発しねぇと何も生まれやしねぇし、何も達成なんか出来やしねぇんだよ!」
「っ…」
まさかジェイデンと同じ事を言うなんて、って一瞬思ったけど、すぐにそんな事はどうでもよくなった。
0からの出発?
全ての原点?
ふざけないでよ。
何で今、そんな事言うの?
もうやめてよ…
それを新一が言ったって、私にはただ蘭を好きになった理由を聞かせてるだけにしか思えないよ…。
「何で…?何で、追い掛けて来たの…?」
「な、何でってそりゃあ…」
「もうやめてよ!これ以上私を追い詰めないで!迷惑なのよ!」
「め、迷惑?」
「もう私の事なんか好きじゃないくせに!何で…何でわざわざ追い掛けて来たの!?期待させる様な事しないでっ!」
「お、おい!待てよ優月っ!」
新一の声が聞こえた直後、ぱしっ、と右腕を強く掴まれる感覚がした。
「もう逃げんな!俺から逃げんじゃねーよ!」
「やだっ!離して!」
新一が私の腕を力一杯掴み、断固として離さない。
私にはその理由が分からなかった。
あんな事言われて、ボロボロになって…
今は1人にして欲しいのに!
何でほっといてくれないの!?
「ちょっ、離して、ってば!新、一っ!」
「ぜってー離すかよ!もうオメーの事を失いたくねぇんだよ俺はっ!」
「なっ、何よそれ!別れた後も都合のいい幼なじみでいろって事!?バカじゃないの!?そんな簡単に戻れるわけないでしょ!?」
「バーロー!俺達は別れてなんかいなかったんだよ初めっから!」
「なっ…!」
何なのよこの男っ!?
「もういい加減にしてよ!!」
怒りと悲しみに任せ、渾身の力を込めて新一の手を振り払った。
「何なのさっきから!?意味分かんない事ばっかり言って!蘭に気持ちが傾いたから別れようって言ったのは新一の方じゃない!」
「はぁ!?何だよそれ!俺がいつそんな有り得ねぇ事言ったんだよ!?俺は今まで蘭をそんな目で見た事なんか一度も」
「じゃあ何で蘭とあの展望レストランにいたの!?あのお店は優作さんと有希ちゃんの想い出の場所なんでしょ!?」
「そっ、それは…」
「蘭に好きって伝えるためにあのお店に行ったんじゃないの!?」
「だから違ぇっつってんだろ!?俺はオメーを連れて行こうとしたんだよ!」
「…え?」
私、を?
「…理由は、何?」
「えっ、と…それは、その…」
「…」
新一が俯きながら口ごもる。
それはつまり、言いづらい、もしくはウソをつこうとしてるっていう表れで…。
「もう、やめて…」
「は?」
「もういい加減にしてよ!勢いなんかに任せてそんな嘘つかないで!」
「あっ、おい!!」
どうしてそんな嘘をつこうとするの?
それに何でまた追い掛けて来るの!?
新一が何をしたいのか分かんないよ!
自分が惨めで惨めで堪らないのに!
「もう追い掛けて来ないでっ!1人にして、っ!?」
グイッ、と新一に腕を引っ張られた瞬間、背中に衝撃が走った。
「痛っ!」
新一に無理矢理橋の鉄柵に押し付けられ、完全に身動きが取れなくなった。
強く掴まれてる両手首が、ギリギリと痛い。
「っざけんじゃねーよ!何でオメーさっきからそんなに俺を疑うんだよ!?」
こんなに怒りを露にした新一を見るのって初めてかもしれない。
一瞬、体がビクッと強張ってしまった。
「だ…だって…だって新一、口ごもったじゃない!もう離して!私なんかほっといてよ!お願いだから1人にし……っ!」
続きを言えなくなったのは、紛れもなく目の前にいるこの人のせい。
新一が私の口を、自分のクチビルで強く、押さえ込むように塞いだせい。
「ん、ふっ…」
新一の舌が、私の口内を乱暴にかき混ぜてくる。
何度も、何度も、私のクチビルを吸ってきて、だんだん腰が砕けそうになってくる。
「新…い、ちっ…」
名前を呼んでも、距離は離れないまま。
そのまま新一はずっと、私の中をかき乱して、舌を絡めたり、吸ったりをただ繰り返すだけ。
「も…だ、めっ…」
足がガクガクしてきて、だんだん自分の体重を支える事が出来なくなっていく。
もうこれ以上立ってられない、って限界を感じて新一の肩にしがみつくと、ぐいっ、と私の腰が引き寄せられた。
密着する身体。
口の端から漏れる甘い吐息。
夢中になって絡み合う舌。
鼻を掠める新一の匂い。
全てが愛しくて…
でも何故か悲しくて、寂しくて…。
……このまま2人一緒に消えてしまえばいいのに。
そしたら、何もかも忘れて、ずっと一緒に居られるのに…。
「っ、は…」
ゆっくりと新一のクチビルが離れていく。
名残惜しく感じて、でも悟られなくて、思わず顔を下に向けた。
「…どんなに頼まれたって出来ねぇよ。今この状況で、オメーを見す見す逃がすなんて…」
「ど、どうして」
「っ、何で分かんねぇんだよ…」
「…え?」
「そんなの…そんなのオメーが世界で一番愛して止まねぇ女だからに決まってんだろ!!」
「……え?」
ど、どういう…事?
蘭じゃ、ないの?
「う、嘘つき…」
「嘘なんかつくかよ!そんなに俺の言う事が信じられねぇのか!?」
新一の言葉を素直に受け入れる事すら、私は忘れてしまったのかな。
「し…信じられるワケないでしょ!?じゃあ何で蘭とあのレスト」
「だあーくそっ!あったま来た!そんなに知りてぇんなら教えてやるよ!俺があの日、オメーをあの店に連れて行こうとした理由をな!」
新一は私の両肩に手を置き、ぎゅっ、と私の肩を掴む。
「俺はオメーに…」
新一の手に、更に力がこもった。
「優月にプロポーズするつもりだったんだよ!!」
「……え?」
半ば叫ぶように言い放った新一の声が、夜のタワー・ブリッジに響いた。