「あの頃は純粋だったなぁ…」
シティ地区にあるこの卑猥な建物、サーティ・セント・メリーアクスを見上げながら物思いに耽る。
前回見た時は「ホントにピクルスだぁー!」って騒いでたけど、人生経験すれば見方も変わるワケで…。
まぁ…。
今思えば、一緒にいたラディッシュがなぜ顔を赤くしていたのかも頷けるワケで…。
「今じゃ私も赤くなる様になっちゃうなんてねー…」
これがなぜ、"卑猥なガーキン(若いきゅうり)"と呼ばれているかというと、イギリス新聞・ガーディアン紙のとある編集者が考え出したのが最初だったりする。
でも、よくまぁ思い切った行動に出たなと感心しちゃうなぁ…。
すっごいストレートすぎるネーミングだし。
そういえばこのガーキン、他にもタワリング・イニュエンド(聳え立つ暗示)とか、クリスタル・ファルス(水晶の男根像)とも呼ばれてたりするんだよね…。
……ロンドンの人達って、紳士かと思ってたけど実はスケベ?
「…あれ?」
足元に散らばってるこの傷だらけのペン…。
もしかして犯人が?
「Dancing Men…」
踊る人形…。
あ、そういえばこの小説の中でもホームズの言葉で…。
−one simply knocks out all the central inferences and presents one’s audience with the starting-point and the conclusion,one may produce a startling,though possibly a meretricious,effect.−
中間の推理をことごとく消し去ってお客にはただ出発点と結論だけを示せば、いささか安っぽくはあるが、ともかく相手を驚かせる効果は十分だ
もしかしたらと思って、ペンの頭とお尻のキャップを取って合わせてみた。
「…やっぱり!」
Nの文字になった!
よし、もうここには用は無いわね…。
さっさと次行こ。
何となく宝探しみたいでワクワクしちゃう!
胸を躍らせながら通称エロティック・ガーキンを後にし、次なる目的地に向かった。
「わぁ!見事な三段重ね…!」
私が見上げているこのセント・ブライド教会は、王立裁判所とセント・ポール大聖堂を結ぶフリート・ストリート沿いに建っていた。
ストリート沿いと言っても、四方を建物に囲まれてるから見つけるのに少し苦労したけど。
「まるでウェディングケーキが乗っかってるみたい…」
「それもそのはず…」
「…え?」
「今では世界中に普及している、ウェディングケーキのモデルになった教会なんだから…」
「…」
誰…?
このオバサン…。
「地元の菓子職人が、自分の働く店先から見えるこの教会の尖塔を眺めているうちに、この形でケーキを作ろうとインスピレーションを得てウェディングケーキを作ったの。そしてそれが好評となり、たちまちこのロンドン中に広まった…。そして彼の死後、ヴィクトリア女王が結婚式で三段重ねのケーキを用いた事から、ウェディングケーキとしての地位を確立し、世の中に定着したのよ」
「へ、へぇー…あ、だから聖・花嫁の教会って名前が付けられたんですね?」
「いいえ、残念ながらそれは偶然…」
「えっ、そうなんですか!?」
「ええ。ここには紀元前の昔から何かしら教会が立っているけれど、この教会は6世紀から。そしてその名のブライドとは、セント・パトリックなどと同じくアイルランドの守護聖人、聖ブライドのことで、彼女に捧げた教会という意味なのよ」
「ソ、ソウデスカ…」
な、何か知って良かったのか知らない方が良かったのか分からないけど…。
まぁ、タメになった…かな?
「あなた、この教会が別名ウェディングケーキ教会って呼ばれているのはご存知かしら?」
「あ、いえ…。初めて来たのでそんな名前があるなんて知らなかったです…。でも、そう呼ばれてても不思議じゃないですね」
「そうね…。でも他にも、ジャーナリストの教会…なんて呼ばれるわ」
「ジャ、ジャーナリストォ?」
「ふふっ、意外よね。そこのフリート・ストリートはかつての大新聞社街。出版社やプレス社が沢山集まってたジャーナリスト街だったの。その証拠にこの教会には、イラク戦争取材で命を落としてしまったジャーナリスト達の名前が刻まれたメモリアルプレートがあるわ…」
「そ、そうなんですか…」
なんかまた1つロンドンに詳しくなったかも…。
それにしてもこのオバサン、どっかで会った様な気がするんだけど、どこだろう…?
「あなた、恋人と別れてしまったの?」
「…ええっ!?な、何で分かったんですか!?」
この人まさか超能力者…!?
「その左手の薬指を見れば一目で分かるわ」
「あ…」
そっか…。
指輪の跡がくっきりと残ってるから分かったんだ…。
「…式場でも探していたの?」
「…は?」
「ここに来たって事は、新しい彼との結婚を考えて?」
「ちっ、違いますよ何言ってるんですか!新しい彼なんていませんよ!それに私まだ高校生ですし!」
「あら、意外ね。あなたほど美人な女性なら、言い寄ってくる男性は山程いると思ったんだけど…」
山、程…。
「…新しい彼なんて、いらないです」
「…え?」
新一しか、欲しくないよ…。
「私には、この前までここにあった指輪をプレゼントしてくれた彼しか、必要無いんです…」
何故だか分からないけど…。
「仮にこの世にいる全ての男性が魅力的でも、私にはたった1人しか…彼しか、愛せませんから…」
この人になら、話してみようかなって思ってしまった。
でも何でこんな見ず知らずの人に話す気になったんだろう…。
自分でも分かんないや…。
「…今の言葉、彼に伝えたの?」
「いえ…伝えてません。伝えたって、彼を困らせるだけですから…」
「でも、彼がもしまだあなたの事が好きだったら?」
「あ、それは無いです。彼にはもう他に好きな人がいるんで…」
「えっ!?そうなの!?」
「はい。その好きな人っていうのが、すごく厄介な女の子で…。私と一緒にいた時間よりも、ずっと長く一緒にいる子で、とっても可愛くて…誰よりも素直な子なんです。彼女にはどうやっても敵いません…」
「……」
ホームズも言ってる。
恋愛というのは感情的な物だと。
人の好き嫌いは、理屈で決まるものでは無い。
恋愛感情は意図しないうちに自然と沸き起こるもの。
例えそれが、自分にとって納得いかない事だとしても…。
いくら蘭に彼氏がいたとしても、仕方の無い事なんだ…。