一話
「よしっ。」
朝御飯の準備が整った。
今朝の献立はお米、菜っ葉のお味噌汁、焼いためざし、葱入り卵焼き、菜の花のお浸し。
さて、そろそろ旦那様達を起こしに行こうかな。
「おや、今日も美味しそうだね。」
「うきゃあ!」
変な声を出してしまった…!
驚いて後ろを向くとクスクスと笑うこの屋敷のご当主。
「あ!お、おはようございます!…もしかしていつもより時間が遅かったですか?」
「おはよう。いやいや、今日は早起きしてしまってね。」
「そうですか…。今若様を起こして参ります。先にお召し上がりになりますか?」
味噌汁の入った鍋の蓋を開けて見ている当主に聞く。
「いや、一緒に食べよう。部屋にいるから準備ができたら声をかけてくれるかい?」
「分かりました。」
それじゃあ、と言って台所を出ていく旦那様を見送った。若様を起こしに行かなくては。
前掛けを外し、この屋敷の中でも大きめのあの部屋を目指して歩いた。
とんとん。
「若様。若様ー。」
襖の縁を叩いて声をかけるが応答はない。まあこれはいつものことだ。
「若様、失礼致します。」
ス、と襖を開けると大柄な男が眠っている。この人が"若様"だ。
私の仕える家の一人息子であり、私の幼なじみ。
そして、私の想い人。
日本人にしては高い背丈に整端な顔つき。広い背中、短く切り揃えられた髪の毛。
そして今は伏せられている…真っ直ぐ、強くありながらも優しい瞳。
何よりもこの人自身が強く優しい。仲間や家族を何より大切にする。
明治の世に変わり行き場のない家臣らを未だに養ってくれているのだ。
この人に惹かれて何年たっただろうか。それはもう、幼い頃からだった。
しかしこの想いは伝えることはない。いくら幼なじみとはいえ雇い主の御子息に恋心を抱くなど身分違いも甚だしい。
ただ、側に仕えていられればそれだけで幸せなのだ。
そっと近づき肩を揺らす。
「若様、朝ですよ。お起きくださいませ。」
「……」
「若様、朝食の準備ができております。」
「………」
こちらが声をかけても聞こえるのは寝息だけ。
「もう…、若様!朝ですよっ。」
先程より強めに肩を揺らし声も大きくする。すると届いたようだ。
「…うう、ん……まだ、…寝かして…」
「若様、駄目ですよ。旦那様がお待ちでいらっしゃいます。」
「……も…う………少し……」
そう言うと布団を頭まで被りまた寝ようとする。
全く、この若様はいつもこうだ。
「いけません、若様。本日は真次郎さんと約束があるとおっしゃっていたじゃありませんか。」
「…ああ…そう、だったか………」
と言って少し顔を出した若様にほら、と布団を剥いで起こすのを手伝う。
上半身を起こすとふわあ、と大きな欠伸をして目を擦った。
「おはようございます。着替えはこちらです。」
「ああ…ありがとう…。」
「それでは私は朝食を用意して参りますから、二度寝はしないでくださいね?」
「大丈夫だよ…。」
若様はもう目は覚めた、と大きく伸びをした。
「それでは、失礼致します。」
一礼して出ていこうと襖に手をかけようとしたとき、
「繊。」
手首が大きな手に包まれた。
「…若様?」
「それ…。」
「はい?」
真剣な眼差しで見つめられる。
「何でしょう?」
「俺はもう"若様"じゃない。」
いけない、顔が熱い。
「えっ…と。」
「何度も言っただろう?」
わかってる。けど
あなたは知らないから。
「はい………
……け、…健吾、さん」
この名を口にするだけで
私の胸が痛くなること。
若様は満足したように笑って手を離した。
失礼致します、と言って急いで台所へと駆ける。
開けっ放しの襖は知らない。
悔しい
(また貴方にどきりとした。)
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