MIYASAKA | ナノ


 優流

 目立たない奴だと思っていた。
 特に特徴のある顔でもなければ、積極的に動くわけでもない。地味に同じクラスだった中学二年間、話したことなど一度もなかった。黒い髪の毛で眼鏡をかけている、大人しいクラスメイトの一人にしか過ぎなかったのだ。
 始業式の日、結局これまた地味に三年間同じだったな、とぼんやり思う程度。そうなるはずだった。


 宮阪優流。
 たまたま出席番号で俺と宮阪が隣の席同士になったのがそもそものきっかけ。
 数学の授業中、あ、という小さな声と共に宮阪がシャーペンを落としたから、コロコロと転がってきたそれを俺は何気なく拾って渡してやった。すると、宮阪はキョトンとした表情をしたあと、ありがとうとゆるりと笑ってシャーペンを受け取った。
 特に何かあったわけでもない、普通の行動。自分自身も、落とし物を拾ってお礼を言われることなど、今まで何度も経験していたはずなのに。宮阪の顔を初めてはっきりと認識したその日から、自分は宮阪が気になって仕方がなくなっていた。

 と言っても、宮阪はとても大人しく、友だちもあまりいないようで。毎日窓際の席に座り、静かに本を読んだり予習をしたり。ちらちらと見るこちらの視線も気づかないようで、一ヶ月経っても話すことさえ出来なかった。
 なんというか、話しかけるスキがないというより、話しかける雰囲気を作らせないという言葉のほうが正しい気がする。何か必要なときは宮阪から話しかけているのを見ることがあるが、それもとても稀。宮阪がクラスで避けられてるとも又違う。拒絶されてることもないはずだけれども、宮阪と自分たちの間には何か、見えない壁のようなものがあるような気がした。

 やはりいつもつるんでる仲間は、自分が宮阪をちらちらと見ていることに気づいていたようで。仲良くなりたいのか、と不意に言われた。誰と、と聞き返すのもめんどくさくて、でも、仲良くなりたいのかと言われたら、また、それも違う感じがして。解らない、とだけ答えた。
 自分みたいな人間が、宮阪の隣にあるのはとても不自然な気がした。
 仲間も、解らないってなんだよ、と笑うが、自分はとてもじゃないが笑えなかった。仲良くなりたいわけじゃないのに、こんなに気にするなんて、ちょっと自分が変に思えたからだ。其れに気づいてしまったこともショックで。
 こんなに自分のことが解らなくなることは、今まで一度もなかった。

 そして、二ヶ月が経とうとしたある日、提出しなくてはならない課題をすっぽかし続けてついに補習を余儀なくされ、一人教室で白紙とにらめっこしていた。
 解るわけのない問題用紙を渡され、出来るまで帰るなと言われたら、どうしようもないと思う。うだうだしていると、終には日も暮れ青空が広がっていた其れは、紅く紅く色を変えていた。綺麗だなぁ、なんて呑気に思いながら、まっ白な問題用紙にもう一度視線を落とす。
 こんなもの、解らなくてもこの先の人生困らないと思う、なんて逃避に走っていたときだった。

 ガラリと開いた扉。
 視線を向けると、そこには。

 宮阪がいた。


 あ、と変な声が出てしまった。宮阪はそんな自分の方にゆっくりと近づいてくる。その様子を、自分はどこかスクリーン越しに見ているような、この世界とは一枚違う空間にいるような、とりあえず不思議な感じだった。
 そんな自分を気にすること無く、忘れ物でもあったのだろうか、隣にある宮阪自身の机の中を探っている。
 補習なんだ?、と宮阪は言った。
 あ、うん、なんて可笑しな返事しか出てかなかった。ぼーっと、宮阪に見入っている。自分でもそれがよく解るから変な感じがした。
 そんな自分を見て、少し、宮阪は何かを考える素振りを見せる。そして、もしかして、と首をかしげ、よく分からないことを口にした。


 もしかして、『宮阪』に虜にされたのかな?


 宮阪は、話してくれた。
 『宮阪』の家系は、代々何かを捕らえてしまう、変わった体質の家系らしい。それは、たった一人の人間であったり、近づいてきた全ての生き物であったり、はたまた猫のみであったり。宮阪優流の父親はその極端な例であったらしく、近づいてきた全ての生き物を虜にしてしまったという。それが災いしてか、父親自身が不幸になってしまったと宮阪は話す。
 一方、息子である宮阪は、今まで誰も虜にすることなく生きてきたので、自分は異例なのかな、と思っていた。そんな時、いつもと違う自分の雰囲気に気づいたらしい。

 途方もない話ではあったが、どこかしっくりきている自分を感じた。宮阪は本当に平凡で地味なやつだ、とてもじゃないが、自分がこんなにも気になるなんてどう考えても異常だからだ。理由も分からずこんな状態になるなんて、何か不可思議な現象が働いていると言われた方が、原因がはっきりするだけ安心出来た。

 ごめんね、とゆるりと笑う宮阪に、別に、と素っ気なく返すしかなかった。


 それから、宮阪が気になるのは止まらなかった。これが『虜』か、とぼんやり思う。どうしても我慢できないときは少し言葉を交わすことで解決した。同じクラスで良かったなと、そのときは教師に感謝すらしたほどだ。
 そんなことをしているうちに、いつのまにか宮阪と一緒にいる時間は増えていき、いつもつるんでいる仲間にも宮阪は馴染んでいった。そうなると、学校で離れることもあまりなくなり、自分の中の宮阪への渇望が減ってとても心地よい学生生活が送れるようになるのを感じていた。
 仲間も宮阪を厭うことなく、幸運にも話のペースというのだろうか、雰囲気が合ったらしい。もしかしたら、仲間にも宮阪の『虜』になったものがいるのかも、とも過ったが、仲間たちの様子を見る限りそれはないよう。ただただ時間が交遊関係を育んでいってくれたらしい。
 そうして、少し歪でそれでも自分には心地よい時間が流れていった。


 それが変化したのは、教育実習生の大学生が来たことであった。自分のクラスを担当すると、担任が紹介したその男。よろしくお願いします、と在り来たりに挨拶をする男の視線が、宮阪に集中したのを感じてしまった。
 自分は宮阪の『虜』になったのだ、その視線がどういうものなのかも身に染みて分かっていた。

 こいつも、『虜』になったのか。

 同級生とは違い、教育実習生なら毎日宮阪の側に居られるわけではない。まして、この『虜』がどういうものなのかも分からないだろうから、あの男は悩んでいるんだろうなぁ、と軽く思っていた。
 それも、自分の宮阪への渇望が、普段から宮阪と一緒にいることで薄れていたためだ。宮阪を気になって仕方がなかったあの頃を、自分はすっかり忘れていたのだ。
 男がちらちらと宮阪を見ているのを感じてはいた。きっと宮阪も分かっていたと思う。それでも、まぁどうしようもないと言えばどうしようもないことであるし、自分もそこまで見ず知らずの教育実習生の力になろうというつもりもなかった。

 教育実習生の男が来て一週間。だんだんと男の表情が切羽詰まったものになっていくのを感じていた。宮阪に声をかけたくて、側にいたくて仕方がないといったところだろう。しかし、用もないのに宮阪に声をかけることが出来ず、普段自分といつも一緒にいるので声をかけるタイミングも無いようで、それが男を苛立たせているようでもあった。
 学校からの帰り道、実はたまたま同じ方角だったため途中まで一緒に帰っているのだが、宮阪に男について聞いてみた。これからどうするのか、と。
 うーん、と少し悩むような素振りを見せたあと、またあのゆるりとした笑みで、どうとも、と言った。
 もうすぐ居なくなる実習生は、宮阪にとって特に気にすることはないらしい。宮阪が言うならどうともならないな、と思った時だった。


 強く、後頭部へ衝撃が襲った。
 霞む視界。その先で普段あまり表情を変えない宮阪の、驚愕した顔。倒れる自分を、抱え込んでくれたのは宮阪で。何かを叫んでいるがよく聞こえない。宮阪の視線は自分を通り越して、その後ろの方へ。宮阪の、見せたことのない、厳しい眼が写す先に何があるのだろう。
 薄れていく意識は、その後の情報を遮断した。



 次に眼を開けると、そこは真っ白な部屋だった。少し頭も痛むよう。病院のようで、あれから入院したのか、とぼんやり思った。
 誰が自分を襲ったのだろう。宮阪はどうなったのだろう。宮阪は……?
 宮阪を思い出したとたん、急にお腹の底から何かぞっとした不安が襲ってきた。宮阪は何処へ行ったのだろう。あれから、宮阪が自分を庇うような行動をとっていたはずだ。宮阪は無事なのだろうか。
 いてもたってもいられなくなり、ベッドから這い出そうとした、その時。ガラリと開いたら扉の向こうに立っていたのは、会いたくて仕方がなかった宮阪だった。宮阪は、自分が起きていることにびっくりしたようで、抱えられていたお見舞いの花束を落とした。

 良かった、と、宮阪が掠れた声で呟いたのが聞こえた。
 同じように、自分の喉からも良かった、と、幽かな音が響いた。

 看護師さんを呼び、医師と共にいくつか検診を受けたあと、ようやく宮阪と二人になることが出来、あのときの話を聞くに至った。

 自分を殴ったのは、あの教育実習生の男だった。
 それを聞いたとき何故、という気持ちと、やはり、という気持ちが心の中で沸き上がった。
 自分が意識を失ったあと、そのまま自分を殴り続けようとしたらしい。しかし、宮阪がその身を呈して自分を庇ってくれた。さすがの男も、『虜』となっている宮阪に手を出すことは躊躇ったようで、自分に対して罵声を発し続けていた。その声を聞いた近所の住民が、頭から血を流して倒れている自分と、自分を庇う宮阪、凶器を手に怒鳴り続ける男を見つけ、警察と救急に通報してくれたという。
 男は発狂し、警察に押さえつけられた。宮阪の名前を呼び続けて、連れていかれたそうだ。
 自分を襲ったのは、宮阪がいつも自分と一緒にいて邪魔だったから、と取り調べの際話していたらしい。男は宮阪に焦がれ、ついにしてはいけないことをしてしまった。その矛先が宮阪自身でなく、自分に向いたのはもしかしたら不幸中の幸いというべきなのだろうか。

 これが、『虜』の力。宮阪が持つ、人を引き付ける魅力。
 一歩間違っていたなら、自分があの男のようになっていたのかもしれない。そう思うと、自分がとても怖くなる。宮阪の『虜』になったからには、とてもあれが他人事には思えないからだ。自分だって一生宮阪と一緒にいられるわけではない。いつか、自分と宮阪の道は違えていくだろう。その時、自分で『虜』になってしまった自身の始末をつけなくてはならない。

 宮阪の話を聞きながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
 不意に握られる手。見ると、自分の左手を、宮阪の両手が包み込んでいた。訝しげに宮阪を見ると、真剣なその表情で、確かな音にのせて言葉を発したのだ。


 僕は、ずっと君といるから。


 その手は、震えていた。
 ああ、宮阪は怖いのだろう。自分の呪いともとれる魅力が、他人を害することを知ってしまったのだ。
 自分から離れない、という先程の言葉も、宮阪から離れた自分が狂ってしまわないように、と宮阪自身を首輪とすることを選んだのだ。
 これが、『虜』となった自分と、『虜』にしてしまった宮阪の運命なのだろうか。それしか選べない道というのなら、そうともとれるのかもしれない。

 それでも。
 『虜』となったこの魂は歓喜に沸き上がるのだ。


 自分は、宮阪という首輪を手に入れたのだ。
 


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