社会はそうして護られる
そして、あいつは死んだんだ。
この世のすべてを怨みながら。
あいつはいつも、誰もが抱きながらもあえて触れない不条理に触れ、皆が識りながらも識らぬふりをする事を謳った。
それこそがあいつにとっての正義だったのだろう、決して曲げようとはしなかった。
生きる事を悔いぬようにいつも一生懸命生きていたのだから。
だからこそ、あいつは皆から部別された。
人は、自分と相容れないものに出会った時、自分の社会を守るために排除を開始する。
それはゆっくりと成す時もあれば、一瞬で終らせてしまう事もある。
だが、どちらにしても排除を努めるのだ。
あいつは、自分の社会を守ろうとする者たちのコミュニティから、排除を受けた。
最初こそはゆっくりと、しかし絶対的な拒否をあいつは目の当たりにした。
そして、あいつは死んだ。
社会こそが歪んでいるのだと気付いたから。
自身を作り上げるものもまた、社会からの恩恵であるのなら、それらから排除を受けた自分自身の存在をどうしても肯定できなかったのだ。
存在を認められてこそ、自分達は世界に存在できるのだ、と。
存在の定義をあいつはそう語っていた。
あいつにとって、存在を認めてくれる存在こそが、社会だった。
あいつは、怨んだ。
自分自身を。
そして、哀しくなった。
社会の矮小さを。
あいつ自身がなにも考える事なく、ただ流れるように生きていたなら、社会から排除されなかっただろう。
ただ、あるがままに全てを受け入れ、飲み込んでさえいれば。
もしくは、社会がもっと大きな懐を持っていたならあいつはその中に包括されていただろう。
全ては仮定であり、過去になった。
すでに過去はその幕を閉じ、誰も戻ることはできない。
そして、あいつの中に生きていた自分自身もまた、すでにこの世からいなくなって。
もう、誰も哀しんではない。
社会に其れを定義付けたものを、社会は排除したのだから。
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