其れが幸せを求めた末路ならば
あの子はただ、幸せになりたかっただけなのだ。
だが。
その小さな躯には、信じられないほどの重圧がのしかかっており、それでもあの子は笑っていた。
『しあわせになりたいの。 だからわらうの』
それがあの子の口癖だった。
幸せだから笑うのではなく、幸せになりたいから笑うという。
そういう歪んだ考え方をあの子に生ませてしまったのは、他ならぬ己たちで。
自分の不幸を他人に投げ付けることでしか自分を救えない。
自分の不幸を他人に嘆くことでしか自分を守れない。
そんな拙たちのために全ての不幸と災厄を背負うためだけに存在するあの子。
生まれる前から決められていた事実。
己も他者と何も変わることなく、自分の不幸をあの子に意味付けして、愚かな自分を慰めていた。
綺麗に微笑み鎮座するあの子に、嘆き悲しみ、あるいは怒り狂う他者が願い望む。
どうかこの不幸を吸い出してほしい。
どうかこの理不尽の理由を授けてほしい。
言葉にさえ出さないが、皆心の中ではそう願っていた。
そしてあの子は全てを受容するのだ。
苦しみも悲しみも、何もかも。
感じなくてもいい他者の嘆きを共感し、背負わなくてもいい他者の責任を負う。
優しく微笑みながら。
他者と同じように思い、行動していた自分に気付き、それが如何に恥ずかしく愚かなことだと知ったのは、実際にあの子に出会ったあの日から。
『なにしてるの?』
幼い声が、誰もいないと思い込んでいた空間に響く。
深い闇から現われたのは、誰もが知りえるあの子で。
いつもと違う少し驚いたふうな表情をしていた。
『■■■様……』
あの子の名は文字には表せない音。存在はすれど、存在しないとされているからだ。
『おさんぽ? ならわたしとおなじだね』
そういってあの子は笑う。その笑みはいつも見ていたものとは違いように感じられた。
あの子は己の手をとると、とことこと歩きだす。
困惑している拙など気にすることなく、舗装されていない道へと入っていった。
『いいとこにつれてってあげる。 とてもきれいなの。 きみだけにおしえてあげる』
あの子は綺麗に笑ってそう言った。
己は思った。
この子は誰なのだ、と。
本当にこの子があの■■■なのかと。
だってあまりにも違うのだ。あの子はこんなふうに綺麗に笑うことなんかしない。
表情無く笑うのだ。
ただ、在るように。
『ほら、きれいでしょ?』
連れて行かれた先は広い広い丘の上。
頭上に広がるは天翔る星々であり、眼下に広がるは人が作り出した光の海。
まるで映し鏡のようなそれは、あの子が言うように確かに美しいものだった。
『ね?』
『……はい。 とても、綺麗です』
肯定の言葉を返す。
しかし、あの子はどこか不満そうに頬を膨らました。
『"けいご"なんていや。
"さま"づけはもっといや』
あの子はそう言った。
座にいるときとはまったく違うあの子。
目の前にいる少女の表情はとても豊かで年相応。
そこでやっと気付いたのだ。
己の愚かさに。
なんという下らなさ。
あの子は、ただの少女に過ぎないのだと、己はやっと理解できたのだ。
『……■■■。 すまなかった』
謝罪せずにはいられなくなり、己は言葉を紡ぐ。
あの子の望みどおり、敬語も様付けも止めた。
あの子は己の謝罪の意味を知ってか知らずか、己の腕の中に飛び込んだ。
腕を腰に回された。
己もあの子の体を包み込むように腕を組んだ。体の大きさから言っても抱き締めているのは己のはずなのに、あの子に抱き締められているかのような気分になった。
それから、あの子は己に懐き始めた。
さすがに礼拝中や座にいるときには、会えても触れ合うことなどできない。だから、己達の逢瀬はいつも日が沈みきった真夜中の草群の中。
まだあまり知らないお互いの事を訊ねたり、今日は何があったとか、どう感じたかなど、他愛もない会話をした。
たまにその他愛もない会話の中に入り交じるあの子の異端さを感じたりもした。
誰もが知りえているはずのことを知らずして、こんな年端もいかぬ少女が知るはずのないことを知っているのだ。
己はただ、その異端さに気付きながら、それでも何もないふうに装った。
それが何の役にもたたないことくらい分かっている。例え、どんなに上手く誤魔化したとしても、あの子を欺くことなどできないからだ。
あの子は今まで数多の呪いを一身に受け続けてきた。
それは己が想像するには、とても荷が勝ちすぎるものであり。
己の些細な心搏数や呼吸の仕方で、あの子は全てを悟ってしまうのだ。
こんなこともできない自分が情けなくなる。
だが、あの子はそれでも笑うのだ。
己の前だけでは優しく、それはとても綺麗に。
未熟で何の力もない己に、あの子を護りたいと、そう感じさせるくらいに。
しかし、出会いと同じように、別れもまた突然訪れた。
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