袖の雫、金糸雀の声


「私が未だ認められていないって、私自身が一番知っている」

 そう呟いた彼女の声が、今も耳の奥で谺する。
 静かにその意志を宿す音色を、どんな表情で発したのだろうか。いつも笑顔を絶やさずに私たちの前で輝いていた彼女。私たちの盾となり道となり、その先を開こうと独り戦っていた。

「どんなに努力しても、私が認められる日は来ないだろう」

 私は、そんなことないと大きな声で叫んだ。今までにないくらい感情が走った。彼女に絶対に届けなければ、と強く強く思ったからだ。
 高みへと登り続けている彼女に追い付けていないのは自覚していた。彼女が持っている意志と覚悟が、未だ私には根付いていないことも解っていた。遠くに見える彼女の凛々しいその背中に、私は安心しきっていて。私はその彼女が切り開いてくれた路を歩んでいれば良かったのだ。彼女の努力で沢山の仲間が歩みを進めている。其れを自分の力だと勘違いしていた。

 その光の先でボロボロになっているなんて、考えてもいなかった。

 彼女がその膝をついたとき、初めて気付いたのだ。私たちには消して見せなかったその背中の裏側が、痛々しいほどの悲しみと痛みで満たされていたことを。

 私たちに向けられる鋭く抉る視線の全てを受け止め、優しい光だけを降り注ぐよう護ってくれていた。
 私たちが歩きやすいように突き刺さる棘を全て払いのけ、綺麗な花だけが迎えてくれるよう計らってくれた。

 知らなかった。初めからそういう路なのだと、本心から思い込んでいた。綺麗に整えられたそれに疑問を持つことすらしなかった。

 「この膝が負けたときが、私が初めてこの気持ちを言葉に出来る時だった。 この辛い気持ちを吐き出したかったけれど、それが皆を護れなくなる時だと知って、もう誰にも頼れなくなった」

 そう言いながら傷だらけになって跪く彼女を見下ろすのは、何処にも欠けることの無い私たち。綺麗で穏やかな場所しか知らなかった私たち。
 彼女を支えてこなかった私たちが、彼女からの加護を無くしてどうなってしまうのだろう。護られるばかりで、何の楯も必要としなかったその結果は、事実深く深く私たちを貫いた。

「それでも」

 小さな、とても小さな声が、私の鼓膜に強く響く。
 その込められた意志が彼女の本心なのだと、何より感じられた。

「それでも、これで良かったと思っている自分もどこかにいる」

 渇いた息と共に漏れ出でたもの。いつも真剣で、何よりも正義と秩序、そして責任を滲ませていた彼女の仮面からは見たことの無い表情。
 一筋、大きな瞳から、感情が伝う。

「もう、時間の問題だった。 世界から与えられる役割を担うことは決定事項だった。 傷だらけになったこの身体で護られるものなんて限られている。 最期までと願った役割も、所詮世界から与えられた機会でしかない」

 嗚咽が広がる。
 小さな背中だった。その存在感が、その力強さが、彼女をとてもとても大きく見せていたのだろう。

 本当の彼女は、こんなに小さいのに。

「取り上げられたそれから、解放された立場から、心の中では安心してしまった」

 

「それが、実らなかった努力の結果だとしても」


 
 泣き疲れて、今は穏やかな寝息をたてている、私の膝の上にのった彼女の頭を撫ぜる。さらり、とその漆黒の糸が、指に絡まりほどけていく。

 次は、誰が私たちを導いていくのだろう。
 いや、こんな考えでいる限り、私たちの中にその立場を引き継いで行ける者がいるとは思えない。
 結局、彼女に頼ってしまうことになるのだろう。当たり前になっていたぬるま湯の空間から、簡単には脱しきれない。彼女も、最期まで護りきれなかった責任を感じ、今まで以上にがむしゃらに生きていくはず。そんな彼女だ。


 私が。


 さらりと、髪の毛が流れる。


 これからは、私が立ち向かえるようにならなくては。彼女に護ってもらっていた今までを変えていかなくては。
 それが少しでも、彼女への謝罪と慰めになると思う。



 その決心を私は掌に込めて、彼女のその傷だらけの魂に触れた。


(何時かき締められるその日を)



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