泡沫

 夢の中でならあいつに会えた。
 会えた、というには一方的だけれど。
 夢の中のあいつは絶対にこちらを見ない。
 俺だけがあいつと一緒にいたいと思っている今の俺たちの関係ように。


 あいつは、俺なんかを覚えていないんだから。




ジリリリリッ
ピピピピッ


「…む…んぁ」


 机の上にある二つの目覚まし時計が起床時間を告げる。一つじゃとてもじゃないが、一人で起きるには足りなかったからだ。
 しかもあえて手の届かない机の上に置く事で、絶対にベッドから出ることが出来る。

 俺は、もそもそとベッドから這い出て目覚ましを止める。
 季節は多少肌寒く、冬まで後少しといった具合だ。

「…さむ」

 制服をクローゼットから取り出し、そのまま居間へと移動する。誰もいない家の中はとても静かだ。
 居間へ着くと暖房の電源を入れた。ストーブよりも安くつくのだと気付いてからは専ら暖房派になってしまった。

 徐々に暖かくなる居間。
 俺は着ていたパジャマを脱ぎ、制服に着替える。脱いだパジャマは風呂場の籠の中に放り込んだ。
 昨日洗濯をしたばかりだから、洗濯物はたまっていない。毎日洗濯するには量が少ないので、だいたい1、2日に一回というペースが妥当だ。
 台所に行き、昨日の夕飯の余り物をレンジに入れ、その間に目玉焼きを作る。ちなみに俺は半熟派でありそして醤油派である。絶妙なタイミングで目玉焼きを皿に移し、レンジでほかほかになったおかずを半分弁当に詰める。
 他にも色々と詰めて、一応弁当らしきものを作る。

 そりゃやっぱり男なので多少不恰好なのはご愛嬌である。
 出来上がった弁当は包んで学校のリュックに入れる。
 ちなみにうちの高校は基本カバンは自由、普通の学生カバンのやつもいればエナメルのや、俺みたいなリュックのやつもいたりする。

 朝ご飯をかきこむと食器を流しに置いて、火の元や戸締まりの確認をした。
 特に盗られて困るようなものはないが、散らかされるのはごめんだからだ。
 きちんと鍵が掛かっていることを確認し、玄関に行き出て鍵を締める。戸を一回引き、確実に閉まっていることを確認し俺は学校へと向かった。


 私立祥華学院大学付属高校。この長ったらしい名前が俺が通っている学校の名前である。祥華学院大学といえば全国屈指のおぼっちゃま大学であり、政治家の息子やら社長のご令嬢やら、とりあえずすごい人達が行く学校だ。
 そんな学校の付属高校なのだから、やはりすごい人達のご子息が通うわけで。勿論頭の方も賢い部類に入るという、完璧な学校である。


 何故そんな学校に一般人の俺が通っているのか。
 ぶっちゃけ俺は有名人でもなければ、社長のご子息であるはずもない。実際クラスでは浮いてたりする。



 俺がこの学校を選んだ理由は一つだけ。



 あいつがいるから。




 母が死ぬ前に俺に教えてくれたことが真実なら、俺にはあいつが必要なんだ。


 あいつのためだけに俺が生まれてきたというのなら。






「お、佐伯! おはよー」

 いきなり肩をガッと組まれた。振り向くと同級生で同じクラスの片桐光司だった。

「おはよ光司」

 光司は俺の数少ない友達の一人だ。
 片桐グループの御曹司で、本来なら俺みたいな庶民と関わりあうなんてことは有り得ないのだが、ここが光司の変なとこなのだと思う。
 勿論まわりには金持ち連中はゴロゴロしていて、別に俺に話し掛けても何の得にだってならないのに、光司は俺と一緒に行動することが多い。前に何故かを聞いたら、学校くらいは自分の肩書きを気にせずいたいと言う。それには俺が居心地良いらしい。
 光司は気持ち良い奴で、他のクラスメイトとは違って俺を見下したりしなかったし、一緒にいて楽しい。そんなこんなで一般庶民と御曹司の変なペアが誕生した。

 今日の授業の話や昨日の他愛もない話をしながら学校へと向かう。と、そこであれ?と感じた。
 確か光司は車で送迎してもらってなかったかと。

 だいたいの生徒は道中危険なことが及ばないように、送り迎えされている。またそれが一種のステータスみたいにもなっており、皆こぞって黒塗りの高級車で通学していた。
 そして光司も俺みたいな庶民と仲が良くても、やっぱり片桐グループの御曹司。光司自身はめんどいと車での通学を嫌がっていたのだが、親が許さなかったのだという。
 そんな光司が歩きで通学。
 なんでだろうと思い光司に尋ねた。


「光司。 お前今日は車じゃないんだな」

「……はぁ。 気付くのマジでおせぇよ。 会ってからもう10分以上経ってるし」


 ほんと佐伯クンはおばかさんですねぇ、などと失礼なことを言いながら俺の頭をポンポン叩く。
 俺よりだいぶ背の高い光司がよくする俺をからかう時の仕草である。


「黙って出てきた」

「は!?」


 さらっと吐き出されたのは一大事を告げる言葉だった。何を大げさな、と思うかもしれないがそこは片桐グループ、庶民の常識で計ってもらっては困る。


「ちょっ、お前どうなるかわかってんのか!? 巻き込まれるのは嫌だからな!」

「大丈夫大丈夫! ……っとおーい! 夏目ー、おはよー!」

 光司が遠くにいる男に手を振る。




 あいつだ。



 光司の馬鹿でかい声に気付いたようで足を止めこちらを振り向き、その少し茶色い双眸が俺達を捕らえた。



ドクンッ




「……っ」





 心臓が痛む。
 あいつのもとへ行かなくてはと全細胞が呻く。あいつの近くに居るといつも身体中が騒めく。
 そして改めて理解するのだ。

 ああ、母が言っていたことは事実なのだと。
 その運命を受け入れる他、俺に生きる意味などないのだと。



「おー、おはよう光司。……とそのお友達?」

 夏目は首を傾げながら俺を見る。

「あっれー? 夏目、佐伯のこと知らなかったっけ? 俺のダチの佐伯ミシロ。 変な名前だろ〜? 呼ばれんの嫌らしいから、佐伯でいいぞ。 んで佐伯、こいつも俺のダチで夏目真。 夏目財閥って知ってるだろ? そこのお坊っちゃん」


 光司が俺のことを夏目に紹介してくれる。一方通行だった状況がまさかこんなことで解決するなんて。
 初めて俺は光司に感謝した。

 しかしせっかく夏目の近くにいられているのに、久しぶりにこんなに近づいたら躰が保てない。
 ギシギシと体中の骨が軋む。


「……って佐伯!? お前ひっでぇ顔色!」

「……え?」


 その時急に視界がぼやけて光司が見えなくなった。

 せっかく夏目に会えたのに。
 俺は意識を失った。






 夢を見ている。
 いつも俺に背中を向け立っているあいつがいない。
 懐かしい場所を見ている。
 昔、まだ母さんが生きていた頃。
 俺は毎日母さんに言われ続けていた。



「私達は『ミシロ』。 『主』に対する『身代わり』のこと。 死にゆく私達に本名はなく、全ては号で紡がれる。 辛い運命だと思う。 でもこれは一族の生業。 今は何もわからないかもしれないけれど、私たちの遺伝子に深く刻まれているモノがあるかぎり、私たちが己のためだけに生きることを拒んでしまう。 あなたは『主』のためだけに生まれた。 彼を思わずには生きてはいけない。 最期を迎えるときまで、彼のためだけに生きて死になさい」



 初めは何のことかわからなかった。
 『主』というのが誰かも知らなかったし、何故その子のためだけに生きるのかもわからなかった。


 それから俺はある豪邸に連れていかれた。母さんに連れられ見たこともないくらい豪華な部屋に通された。
 これから何が始まるのか不安になり母さんを伺ったが、母さんは少し哀しげな顔をするだけだった。


「お待たせいたしました。 私が夏目財閥の会長をしております、夏目巌と申します。 そしてこちらが孫にあたります真でございます」

 扉を開けて入ってきたのはいかにも厳しそうなおじいさんと、その後ろに隠れている男の子だった。
 母さんが立ち上がり礼をする。俺も遅れて母さんに倣う。


「このたびはご連絡いただきありがとうございます。 早速始めたいと思うのですがよろしいでしょうか?」


 淡々と母さんが言葉を紡ぐ。必要以上に会話はしない方がいいらしい。変に情が移ったりしてはいけないからだ。
 そう教えられたから、俺も何も言わない。おじいさんとは視線すらも合わせない。

 だけど、子供には別だった。おじいさんにまとわりついて、こちらを伺う男の子。
 彼が俺の『主』になるのかとじっと見つめる。
 躰の中の何かが騒つく。変に気分が高揚し、まるで待ち続けた人にやっと会えたような感じを初対面の男の子に対して抱いた。


「ミシロ、始めなさい」


 母さんの声を聞いて俺は男の子のもとへと近づく。



「さぁ真。 お前の『身代わり』だ」



 そういうとおじいさんが男の子を前へと促した。
 俺は男の子の両手を掴み向かい合う。男の子は何が始まるのかわからないで、ただ怯えていた。


「……始めます。


我、汝の為に生き
我、汝の為に死す

我、汝が為なら
喩えこの命尽きようとも
喩えこの手汚れようとも

厭いはしない

今、我が命は汝が下に
汝が身代わりに
成らんことを誓う」



 母さんが教えてくれた『身代わりの言霊』を俺は唱えた。
 その瞬間他人には分からないが、今確かに俺と真は何か見えない物で繋がった。
 これから先、真の災厄はすべて俺へとのしかかることになる。


……
うっわー……
すごい中途半端(笑)


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