黄昏の慟哭は夢幻に散る


 踏切が成る音が、自分はどこか神を讃える賛美歌であるかのように聞こえた。


「聖者」

 呼ばれ振り向くと、其処には刹那の使者がいた。
 約束の時間までまだ随分とあるはず。彼が此処に来た理由を計り損ねていると、使者は一歩ずつその足を歩め、自分の方に近づいてきた。
 使者の顔には、上半分を覆うように仮面が付けられており、その表情は分からない。唯一分かる口元もきちりと結ばれ、その感情を察することは出来なかった。

「まだ、件の時間まで時間があると思うが」

 自分が言葉を発すると、使者はその足を止める。もう一歩進めば届きそうなその距離。
 使者は少し間をあけると、自分に向かって両手を伸ばした。

「聖者」

 使者が、どこか縋るような声色で自分の名を呼ぶ。自分は使者から伸ばされる手を払除けることなく、包まれる掌を享受した。
 少しひんやりとした使者の両手が、包み込むように自分の顔には触れる。
 どこか、存在を確かめるような仕草。

「永遠の聖者」

 使者はもう一度、自分の名を呼んだ。
 目に見えない感情の全てが、使者の声に溶け込んでいた。

「……何かあったのか?」

 自分は使者に聞いた。
 使者がこんなふうに感情を曝け出すことは、今まで一度もなかった。いつも何を考えているのか分からない、ただただ使者という其れだけの存在だった。
 その名を冠すように、使命を遂行していたというのに。

「分からなくなってしまった」

 小さく呟かれた其れを、自分は零す事なく聞き取った。

「何を?」

 自分はもう一度尋ねた。

「私は使者だ、刹那の使者という存在だ。 其れだけが私を形作り、そうあることで私が認識されていた」

 自分は、使者の言葉に頷いた。
 自分もまた使者と同じだからである。永遠の聖者であるという事実が、自分を作り上げている。

「何故、俺が刹那の使者であらねばならないのか」

 自分の顔を包む使者の冷たい手が、僅かに震えているのを感じた。
 自分は、あぁと心の中でどこか諦めを孕んだ溜め息をはいた。

「使者、其れを深く考えてはいけない。 其の問いに、答えが出ることはないのだから」

 自分は使者に語り掛けた。其れに気付いた者の末路を、自分は良く知っていたからだ。
 その者は、一瞬で自分の前から姿を無くしてしまったのだから。


「……聖者は、変わらないでくれ」


 そう言って、使者は自分の目蓋に暖かさを残すと、踏切から続く世界へと姿を無くしてしまった。

 呆然と使者が消えた場所を眺める。
 未だ成り続ける音は、規則的に響き、点滅を繰り返す。赤の光は、同じように散らばり彩る色と重なり、更にその色味を増した。


 初代の使者も、その次の使者も、また今の刹那の使者も、同じように自分の目の前で旅立って行った。
 自分は、赤の中に落ちている仮面を拾う。使者がその顔を隠すために付けていた其れ。

 変わらないで、とは彼らがいつも残して去く言葉。永遠の聖者である自分には、何という皮肉めいた言葉だろうか。
 変われないからこそ永遠の聖者である自分に、変化を恐れるなど無意味な事でしかない。

 手にした仮面は、さらさらと砂になり、また空へと散っていった。いつも自分の元に残るのは形ある其れらではなく、この胸へと突き刺さるその言葉しか無いのだ。
 彼は刹那であるからこそ変化を求められ、求められた事に答えども前提に存在する使者という役割にも絡めとられる。逃げられない苦しみに永く保つものはおらず、その心が折れた時に踏切の向こうへ旅立つのだ。

 さよならさえ言わせてもらえず、さよならさえ言ってはくれない。
 互いの役割を担わなければいけないからこその、その呪縛。


 ああ。
 また、新しい使者が生まれる音が聞こえる。
 彼は、生まれながら死んでいく運命を背負い、これからも哭き続けるのだろう。


 自分は聖者。
 彼は使者。

 決して交わらない、二つの役割。



 それでも、彼が哭きやめば嬉しいと、自分もまた絡めとられているのかもしれない。


(踏切は今、
その拒絶を
き放つ)


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