餞
音が、聞こえるんだ。
どんな、というには微かすぎて上手く言い表わせないのだけれど。
それは決して不快なものではなく、むしろ聴いていると心が安らいでいくような音。
隣にいる君には、聞こえていないみたいで。
どこからか音が聞こえるのだと話した時、真剣に心配されてしまったので、今も聞こえ続けている事は秘密なのだ。
時に激しく、時に優しく、その音は僕の鼓膜を叩く。僕の気持ちと同調するような音の時もあれば、苛立つ僕を宥めるような音を放ったりもする。
初めはやはり、原因の分からないそれに不安もあったけれど、害もなく不快でもないその音を、僕は徐々に受け入れるようになっていた。
そんな時間が過ぎていき、音に変化が訪れる。
今まで聞こえていた音に、微かに違う音が重なるのだ。いつもの音より少し高く早い、可愛らしい音。
二つの音が奏でる旋律は、以前にも増して僕を包み込んでくれた。
僕は、特に音が増えた事を疑問に思うことなく、ただ『そう』なのだ、としか考えていなかった。
音が聞こえる原因さえ分からないのだから、増えたその意味を考える事に理由を見出だせなかったのだ。
しばらくして、そんな音の意味は、実に呆気なく正体を表すことになる。
君が嬉しそうに、でもどこか不安そうに打ち明けてくれた其れが、全ての答えであり、原因だった。
少し膨らみを感じさせる自分のお腹を、愛おしそうに撫でる君。
告げられた月数は、音が重なったあの頃。
やっと識った真実は、僕たちの奇跡と絆に代わる。
確かに聞こえる、真実を告げる音。
僕は自分の胸に掌をあててみた。
3つになったその音は、これからの門出の歌となるだろう。
世界にただ一つ。
重なり合う、僕らだけの音。
いつか生まれる、新たな生命への餞 。
(愛される為に
生まれた僕等はきっと、
愛する為に生きていく)
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