左手
右手には何もなく。
私は左手にだけ、正義を抱いていた。
私は、まだまだ大丈夫だ。
そう言い続けて、この左手を掲げていた。
右手は常に躰の横に垂れ下げて、在る事すら忘れていた。
走って走って、走り続けて。
私はたった一つの生命を燃やし続けた。
そうする事でしか、私が過去に犯した過ちを正せないと思っていた。
彼の息を止めた。
彼女の悲しみを拭い去った。
敵の急所を突いた。
栄誉ある選択を成した。
そのすべてを、私は左手の正義に任せた。
正義を掲げたその手ならば、私は何に臆する事なく遂行出来たからだ。
それらの行動全てが、何かに対する排除であることは分かっていた。
私は、排除する事で、選択したものを守っていたのだ。
走り続けて、傷だらけになる見えない心の内で、私は腐りかけていた。
過去に捕われた私は、未来を受け容れられなかったからだ。
このまま墜ちてしまうのも悪くない。
其れが私の選択した末路ならば。
そうして久遠の常闇へと墜ちようとした時。
彼は私に言ったのだ。
もう、いい。
と――。
私が自分で正義だと偽っていたものを、彼は簡単に明らかにしてしまった。
私の左手には、正義なんてものは掲げられていなかったのだ。
私の左手には、ただ虚ろな鏡しかなかったのだ。
鏡に躍らされている私を、彼は救い上げてくれた。
驚きは喜びに変わり、また涙になってこの躰から零れ落ちた。
今、何もないと思っていた右手には握られているのは、彼の左手。
(甘やかに満ちてゆく
世界の中で繋がれた指先に
幸せは宿るのだろう)
戻る