空を見上げて 本章 | ナノ



2


 正直、メゾは驚いた。
 そんな綺麗事を恥ずかしげもなく放った少年にもだけれども、そんな綺麗事を実行する少年の行動にもだ。
 皆、口では正義を論ずるものだ。しかしそれが実際に行動としてなされるというのは難しい。
 誰だって面倒事には関わりたくないし、見知らぬ誰かのために傷を負うなど馬したくはないことだからだ。

 しかし、この少年はそんなことなどまったく考えずに、ただメゾを助けると言った。

 案の定、私を刺そうとした男も眉をひそめている。あまりにまっすぐな少年に毒気を抽かれたようだった。



 ―わからなくともない。


 メゾ自身も、さっき迄の焦りに近い苛立ちが、ぶっ飛んでいってしまった。

 メゾは心の中で少し笑う。

 ―おもしろい少年だ。


「わかった。 わかったからこの手を離してくれ」

 メゾが少し苦笑いをしながらそう言うと、少年は一瞬考えたのかと思うと、何故か顔を赤らめ、ぱっと肩から手を離した。


 ―む、何かしたのだろうか?


 メゾはそんな少年の様子が少し気になったが、とりあえず、何とも言えない顔をして立っている男と向かい合う。
 男はさっきまでの殺気をすでに絶っており、ナイフを握っている手も下へと下ろしていた。



「さて、どうするのだ?」

「…まったく、どうもこうもない。 こうも毒気をぬかれてしまっては、仕切り直しもすぐにはきかないな」


 男は、ちらりと少年を見ると、ふっと笑った。そしてナイフを鞘にしまうと、上着の内側ににしまい込んだ。

 そして、呟く。


「しかし……、結果としては良かったのかもしれないな。 俺にとっても」


 ―どういうことだろうか?


 実際、男にとってこんなことになったのは予想外であって、悪い状況にあるのではないのだろうか。
 任務を遂行できなかったのだ。何かしらの不具合は生じるはず。

 それなのに、男は良い、といった。



「と言うと?」


 男がメゾに視線を戻す。真剣な眼が、私を射ぬく。
 男の眼は、何かを確かめるようにしてメゾを見つめた。


「一つ、尋ねたい。 お前は紅の祈り子か?」


 ―紅の、祈り子?


「毎日、黄昏時に祈っていた誰かの事だ。 お前に声が似ている気がしたんだが。 どうなんだ?」


 メゾは、それならば私なのだろう、と思う。
 そんなメゾの隣で、少年が驚愕した様子でメゾを凝視している。また、何故かわからないけれども。


「紅に祈っているのは、確かに私だ。 ……成る程、私の声は空を通じて外へ響いていたんだな」



 ―これは、喜ぶべきなのだろうか。まぁ、響いていたところで何があるという訳でもないが。



 そうか、と男は何やら考えだす。
 すると今まで黙っていた少年が、少し興奮してようにメゾに話しかけていた。


「なぁ、あんた、あの声の子だったのか? 毎日、紅に祈っていた?」

「ああ。しかし、それがどうしたのだ?」

「わぁ、やっぱり! 拙、そんな気がしてたんだ。 会えてうれしい!」

 その喜ぶまま、少年はメゾの両手を包むようにして握り締めた。

「む…? な、何故そんなに喜ぶのだ?」


 メゾはそんな嬉しそうな様子の少年を、まったく解せないでいた。
 しかし、そんな感情をそのまま顔に出しているメゾに、興奮した少年は気づかない。

 興奮していた少年があっ、と言ったのと、今まで考え込んでいた男が同時にメゾを見た。



「これから何処へ行こうとしていたんだ?」



 男と少年が同時に問う。 二人は顔を見合わせると、嫌な顔をしあう。


 ―本当に馬が合わないのだな…。



 しかし、そう聞かれ、メゾは少し困ってしまった。
 なぜなら、メゾにとって今の目的こそが自由になることであって、何処という土地を目指していたわけではないからだ。


 メゾは、ふむ、と考える。考えた挙げ句、出てきた答えは結局同じなわけで。



「そうだな、私が自由になれるところだ」



「はぁ?」「え?」



 男が驚き呆れる。少年が訝しげに聞き返す。
 む、悪いのか、と言わんがばかりにメゾはきっ、と二人を睨み付けた。

 すると男はすまない、と言う。

「いや、別に馬鹿にしているわけじゃない。 しかし……、抽象的な目的地だな。 それが何処だかわかって言っているのか?」


 メゾは男の問いに首を振る。メゾにとってそれが具体的にどこにあるのか、などはまったく知らない。だいたいここがどこかも分かっていないような状況だったりするわけで。
 そんなメゾが、この世界の地名やお国柄などがわかるわけがない。


 だが、そんなメゾにも一つだけわかることはある。


「要は、お前のような奴が来ないところ、という場所なわけだ」


 メゾに男に向かって言ってやった。男は面食らったかのような顔をしたかと思うと、ははっ、と笑いだした。


「なるほど。 いや、そのとおりだな」

「む、笑うな。 私は真剣に言っているのだ」

「ああ、分かっている。 それは真理だ」


 それでも男はまだくすくすと笑い続ける。

 すると、今度は少年がメゾに尋ねた。


「あんた、領主の娘さんだよね?」

「ふむ、まぁ…、血筋的にはそういうとこになるのだろうな。 だからといってそれに意味はない」


 ふん、とメゾは鼻で笑った。会ったばかりの父親を名乗る男に、メゾは特別な感情を持つことは出来なかった。感動も、感傷も、ましてや父親に会えた嬉しさなど、何も。
 少年は、そんなメゾの様子に目をぱちくりさせたと思うと、すぐに目尻を弛ませた。


「そうなんだ」


 そういって、少年はにっと笑った。誰もが好感を持ちそうな笑みだ。どこかまだ幼さが残る笑顔。同世代のメゾでさえも、若い、と思わせた。



「お前は刺客が来ないなんてそんなところがあると思うか? あの女の執念は、お前の死体を見るまで終わらないかもしれないぞ」


 ひとしきり笑った後、男が言う。
 メゾも少年から視線を移して、言ってやった。



「ならば、その執念が枯渇するまで。 私が私でいられる場所を探す事に、誰の指図も許さない」


 メゾはそういうと、まだ見ぬ自由の土地へと思いを馳せた



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