黒黄

わざわざ認めるだなんて、本当に馬鹿らしい事だと、思っていた。

「黒子っち、」

矢鱈に蒸し暑い夏の日、扇風機すらも存在していない部屋で、自分のことを如何にも軽い口調で、間の抜けた独特の呼び名で呼んで来る黄瀬涼太と言う人間が黒子テツヤは何処までも苦手だった。嫌いにはなれなくとも矢張り自分から近付く事も出来る訳がなくて、軽い人付き合いというものがあまり得意ではないという自分の性格からしても自分に纏わりついてくる黄瀬は本当に所謂「合わない」人間で、きっと黄瀬はそんな事を何も考えて居なくて、だからこそこんな風に無邪気に、巫山戯た顔で自分の名前を呼べるのだろうと思った。黒子が何時も考えている事を、こんな頭の中を覗いてしまっては、きっといくら能天気な黄瀬と言えどもこんな風に笑顔で接してはくれないのだろうから。幾ら苦手だと言っても、それだけで傷付ける程黒子は非道な人間にはなりきれなかった。そんな黒子の考えも余所に、黄瀬は何も知らない笑顔で、何も知らないからこそ言える言葉を紡ぐ。

「オレ、黒子っちのこと好きっスよ」
「……そうですか、」

ぽきり。次の言葉を口にできないまま、手に持っていたシャーペンの中の芯が折れる。何時の間にか背後から腰に回された腕と背中に凭れかかって居るらしい彼の流れるような金髪のさらりと揺れる音に、黒子は茹だる様な眩暈を覚えた。「黄瀬くん」それを誤魔化す様に、黒子はもう一度、入れ直したシャーペンの芯をぱきりと折り曲げる。黄瀬が、背後で顔を上げる気配がした。

「暑いんですけど」

火照る頭で漸くそれだけ絞り出して、そちらを体ごと振り返ってから黄瀬を引き離した。少し驚いた後に寂しげな顔をした彼に罪悪感を覚えない訳でも無いけれど、そんな事に感けて居られるほど黒子の精神が強い訳でも無かった。黄瀬の僅かに開いた唇から、聞こえるか聞こえないか程度の微かな吐息が漏れたのが分かった。

「あ、」

どこか残念そうで、とても寂しげで、そして悲しそうな小さなその声を黒子は聞き逃す事など出来なくて、それに含まれた意味などは理解できる筈も無かったけれど、ただ一つ、その声と表情から読み取れたのは。(……本当に、傷付けてしまったかもしれない、)先程までは少しも気にして居なかった筈のその事実に冷や水を浴びせられたような気分になって、夏だと言うのにそれはあまり素直に喜べる類のものではないように考えられた。きせくん。もう一度、柄でもなくわずかに震える唇で彼の名前を呼んだ。くろこっち。きっと疑問符の付いているのだろう、語尾をわずかに上げて呼ばれた名前に、それまで俯いていた顔を上げた。

「好きです」

あなたが好きです、とわざわざ繰り返して口から滑り落ちたその言葉に黒子は自分でも驚いて仕舞って、その表情を見せないように顔を逸らした。もしかしたら、最初からずっとそうだったのかもしれない。苦手だと思っていたのも、実は意識していたからなのかもしれないと、上手く回らない頭でそんな事を考える。
黄瀬が息を呑む音が、いつも聞こえるどんな音よりはっきりと聞こえた。そのうちぽたり、と何かが落ちる音が響いてやっとそちらを向けば、何も言わずにぽたぽたとその琥珀色から涙を流す黄瀬に目を奪われた。綺麗だと、思った。
黒子っち。何度も繰り返された名前に、ようやっと静かに微笑んだ。その名前が、きっと彼なりの返事のつもりだったのだろう。自分より幾らか背の高い彼の腕を、ゆっくりと引き寄せた。先程突き放した身体はやたらと熱くなっていて、夏だと言うのにそれが不快にはならない様な気がした。勢いのまま倒れ込んだ黄瀬の金髪に優しく口付けて、また静かに微笑んだ。らしくないと言われるかもしれないけれど、それでも良いんじゃないかとかも考えた。

「……恥ずかしいッス」

黒子の服をゆるく掴んで居た手に力が籠って、ぎゅう、と、ゆるくシャツに皺を作る。嫌というほど指通りの良い黄瀬の髪が、また一度さらりと揺れた。もう黒子は何も話さなかったし、話す必要もないと気付いている。血の昇った頭で黄瀬涼太が何を求めているのか、黒子はずっと理解していたのだ。黄瀬くん。もう一度、ゆっくりとした語調で彼の名前を呼んだ。それに応えるように顔を上げた黄瀬の端正な顔が、また綺麗に歪められる。それが笑顔である事も、黒子テツヤは知っていた。

「好きです」

珍しく普通の敬語を使ってそう呟かれた黄瀬の言葉には敢えて何も言わず、此方も慣れない笑顔を作る。そうして近付いて来た気配に全てが如何でも良くなるような気さえして、黒子は何も言わずそっと目蓋を降ろした。急上昇する彼の体温が、夏よりも暑い様な、そんな感覚が、何故だか黒子にはあった。
きっと自分も暑さで頭が如何かしてしまったのだろうと自己完結させて、目蓋を開かないまま黄瀬の唇に噛み付いた。
そうして開かれた視界の中で黄瀬が少し照れた様な笑みを浮かべていたのをいつまでも忘れられる事はないだろうと、そんな予感、よりもきっと確信を、黒子テツヤは
茹だるような思考の中でぼんやりと、それでも確かに感じていた。
幾ら合わないと感じていた存在だろうが、幾ら苦手な存在だろうが、好きになって仕舞えば仕方が無いと、ふとどこかで誰かが言った声が聞こえたような気もして、黒子はその心中で、ゆっくりと、確かにその言葉を肯定した。


相反する劣情/120709
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