黒黄

彼は、きっと優しすぎるのだと思った。自分に幻想を抱く誰かの為なら平気で普段からの自分を殺して仕舞うし、必要ならその仮面をずっと被って生活する。そうして出来たのが今の彼で、それが彼という人間なのだと言うことは理解していても、黒子にはどうして彼がそこまで他人の為に尽くすのか腑に落ちなかった。少し見方を変えればただの臆病者にも見える彼の行動は、やっぱり他人に優しいままだ。その細くも白くもない腕が、自分よりは大きいはずの背中が、時折どうしてだか自分よりか弱いものにも見える時が、黒子にはあった。
二人でいると少し狭くも感じる部屋の中。ゆっくりと、その腕に触れた。少しだけ、冷たい感覚がする。

「……黒子っち?」
「はい」

僅かに戸惑いを含んだ問い掛けに返事と共に頷いて、その身体を静かに抱き寄せる。冷たくはなかったけれど、力は強い筈なのに抵抗する事もないそれは、彼がひどく疲れているような顔をしている事で説明がついた。本当に、彼は優しいのだ。そうして、優しいからこそ疲れすぎてしまう。

「黄瀬くん」
「……オレ、もう疲れたッス」

呼び掛けすらも無視して吐き出された呟きは、独り言のつもりだったのかは知らない。ただ、少なくとも彼が何を求めているのかは、黒子テツヤは気付き始めていた。音も立てずに、黄瀬が黒子を見上げた。疲れた。その一言だけで、合図には充分だと、黒子はそう静かに考えていた。そうして、腕の中にいる彼は、ぽつり、と、まるで零すように次の言葉を紡ぎ出す。
黒子っち。濡れたような瞳で、その名前を呼ぶ。

「抱いて」

その言葉でやっと黒子は、黄瀬がどうしてそれまで優しいとも臆病者とも取れる行為を続けてきたのかを納得できた気がした。きっと彼は、これを言う為だけにこんな芝居を続けて来たのだ。それを下らないと考えるのは、黒子にとってはいつもの事である。それでも毎回それに従うのが、黒子テツヤだった。何時の間にか重なっていた唇に、責め立てる言葉は存在しない。
黄瀬涼太という人間は本当に優しいのだと、彼の瞳をどこか遠くのもののように見ながら改めて考える。熱に浮かされたような顔をした黄瀬は、やっぱり少しも目の色を変えてはいない。人肌が恋しいなんて陳腐な理由で好きでもない人間を誘うほど彼が馬鹿ではない事は、とうの昔に知っていたことである。
黄瀬くん。今度は、此方から名前を呼んだ。きっと彼がその熱の籠った目で見ているのはきっと、自分ではないのだろう。

「好きです」

ようやく囁いたその言葉に黄瀬はまるで誰かを重ねたように笑顔を作った。それを寂しいとも悲しいとも、黒子はもう感じていない。だからこんな事ができるのだと、誰かに笑われた気がした。
ぽとり。零れ落ちる筈のない涙が落ちる音がする。それに柄もなく動揺するほど、もう子供でもないのだ。

「黄瀬くん、」

きっと自分は夢を見ているのだ。悪夢なのか何なのか、それどころか何を見ているのかすらも、もう分からないけれど。
曇ってしまった視界の中で、黄瀬がいつものように笑う気配がする。俺もッス、だなんて、聞こえるわけも無い言葉がその唇から聞こえた気がして、思わず二度目の口付けをした。



幸せな夢を/0120708
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -