記憶喪失黒田きゅん

・インハイネタバレ注意
↓設定からすぐネタバレですので苦手な方はお逃げください


・もし黒田くんが落車のショックで記憶喪失になっていたらというif設定

・黒荒



白いシーツ、白い枕の上を風に煽られた長いカーテンが駆け抜けていく。
その裾をつかもうとして空を掻いた右手は、行き場をなくしたまま傷だらけの腹部に落ちた。
全身に負ったらしい傷はどれも深かったらしい。
体中に巻かれた包帯がほどかれる日と会うことはなかったが、目が覚めたときにはほんとうにびっくりしたことは今も記憶に新しい。
これからは、傷跡と一緒にまた何か新しい物に対面することになるのか。
見えない未来のイメージをなんとか頭から振り払って、逃げるようにベッドから立ち上がりカーテンがはためく窓へと足を動かす。
窓枠にかけた手さえ治った傷と消毒液の匂いに包まれていて、両脚は動かす度に僅かに悲鳴を上げるが、とまるつもりは毛頭無かった。
窓から見える景色は、海の青と、山の緑と、どこかで何かのイベントをしているらしい人々の歓声で、まるで何かの映像を見せられているように現実味がない。

「懐かしいのかヨ?」

窓枠へ、その先の何か―青い空にかすんで見える数字の書かれた何かへ左手を伸ばしたそのとき聞こえた低い声に、俺はドアへと振り返る。

「荒北先生!!」

「先生先生って毎回馬鹿見てェに言うんじゃねぇヨ」

バァカチャンが、と。
歯茎を見せるような荒々しい笑顔は医者にはとうてい見えないが、しかし荒北先生は紛れもなく俺の担当医だ。
白衣を着ずにいればどこのガラの悪いチンピラかという出で立ちだが、バインダーを片手に白衣を纏う今の姿は、まごうことなき医者のそれである。
荒北さんにはたくさん救いの手を差し伸べてもらった、もう何度お礼を言えばいいのか分からない。




さて。
そろそろ俺が何者で、何で病院に居るのかを説明しなければいけないだろう。
俺は黒田雪成。
三年前に自転車から落車した事故で意識不明状態に陥り、二年半の間植物状態のまま生き延びて、つい半年前に目覚めて記憶喪失であることが発覚したばかりだ。
一般人よりは濃い21年を歩んでいると思う。
思い出という思い出が脳味噌から吹っ飛んでしまってはいるが、日常生活を送るために必要な知識だけは残っていたことが救いだろう。
ただ気になるのは、二年半の眠りから目覚めた俺を泣きそうな顔で抱きしめた荒北さんは一体俺とどういう関係なのかということだけだ。
聞いてもたいてい返ってくる返事は「あー、忘れたヨ」なんていい加減な返事ばかりで、何の手がかりも得られない。

「荒北先生、今日こそ教えてくださいよ」

「何を?」

脈をはかり、バインダーに挟んだ書類にボールペンを走らせる荒北さんはこっちに視線を送りながら話を聞いてくれる。
今日は空が綺麗ですね、だの、先生と少しでも会話したいがために話しかけるくだらない話題を展開してくれるのは、結局この人自身なのだ。
一見厳しそうに見えて、実は基本的に優しい荒北さんがどうして頑なにここまで関係を隠すのか、その理由にも興味があるからこそ俺もここまでしつこくなってしまう。
が。

「俺と荒北さんってどんな関係だったのか、を…」

いつものように言いかけて、面食らった。
今までに見たことのない荒北さんの表情に、その瞳に混じる圧倒的な寂貘の色に。
未だかつて、こんな顔の荒北さんには会ったことがない。
違うだろ。
あんたはいつもここで答えをはぐらかして笑うんだ。
俺を子供扱いして、いい子だから静かにな、なんてセリフを甘く低く響かせて俺の反論を奪い去って。
この半年間幾巡繰り返したかもしれないようなやり取りに、何でも今更こんな。
まさか俺は、今までしてはいけない問を繰り返してきていたのか―そんな風に感じてしまうほど、今の荒北さんはいつもの荒北さんとはかけ離れていた。

「…なァ黒田」

「、はい」

その声にもいつもの覇気はない。
何かにすがるようにかすれた声を伴って、白く細い指先が俺の頬を滑る。

「帰ってこいヨ」

帰ってこい。
それは果たして俺に向けた言葉なのか、それとも記憶を失う前の俺に投げた必死の叫びなのか。
いずれにせよ現実はここにある。
俺では荒北さんの大切な人にはなれない、そんな決定的な事実が。

「前みたいにクオータ乗って、必死にオレの後ろついてきて
インハイだって、オレの代わりに走りきるって」

黒田ァ
か細い声。
黒い瞳に浮かぶ透明な雫は、荒北さんの頬を滑り落ち白いシーツを僅かに濡らす。
思わず抱き寄せたその体は、想像よりもずっと細く頼りない。

「荒北さん
ごめんなさい」

前の俺じゃなくてごめんなさい。
あなたを満たすことすらできなくてごめんなさい。
どこに行ったんだ俺。
お前をほしがってこんなに泣いてる人間を放って、お前は一体全体何してんだ。

「黒田、雪成」

震える声で呼んだ名前は、俺の名前であってそうでないものでもあった。





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