真黒

・真波くん×黒田きゅん
聞いたことないとか言わない約束

・インハイ後、まだ優勝を逃したことを気に病んでる真波を黒田が慰める話



風を切る感覚が、流れ出る汗が、全てが生きているという実感を与えてくれる。
苦しい、と体中にその叫びを響かせる心臓も、空気を吸い込む度に痛い喉も、本当は血反吐吐くほど追い込まれてるはずなのに、俺はこんなときほど笑ってしまう。
最高潮だ、一歩一歩回す度に近づく頂上がどうしようもなく愛おしい。
俺が一番に頂点を視界に捉えたい、誰もいないそこを独り占めしたい。
それだけを考えればさっきまで鉄のように固くなっていた足は柔らかくしなり、重りが着いているかのように重かったペダルはこの世のどんなものより軽く早く回りだす。
あと少し、もう少し―後続を気にかけず走れば残りの距離なんて無いも同然だ。
そうだ、ロードは楽しい、俺にとってロードは楽しいものだから、だから、
こんな逃げるようにでたらめなペースで走らなくてもいいはずなんだ。
ペダリングが乱れているのが自分でも分かる。
荒れた呼吸はもはやどう修正すればいいかも分からず、無駄に入った力のせいで全身が重い。
さっきまでの感覚が嘘だったかのように動かなくなった体で愛車を引きずるようにペダルを回して、100mしかないはずなのに遙か遠くに見えるゴールラインを必死に捉えて、目指して。

「遅ぇよ真波」

後続の黒田さんの声が聞こえ、前を見れば悪夢のごとく蘇る、ラインを通過していくクロモリと小さな背中。
蜃気楼のようにゆらぐそれを振り払うようにペダルを回して、半ばやけ気味にロードと自分の体をラインの向こうに放り込んだ。




「お前、今何考えて山登ってた」

ロードを下りて水分補給をする黒田さんのこの質問に、閉口するしかなかった。
インハイ前の俺は、今となっては自分を縛る鎖でしかない「山を登ってるととても楽しい」なんて言葉を笑顔で言ってた覚えがある。
今は欠片も楽しくない、それどころか辛い。
登れない自分が嫌い、速くない自分が嫌い、嫌いだらけでおかしくなりそうな思考回路をどうすればいいのかさえも分からない。
今日は快晴です、いくらニュースキャスターが笑顔で言おうが俺の空はあの日から曇天にしかならない。

「俺はだるかった」

「…黒田さん、クライマーなのに山が嫌いなんですか?」

「誰もんなこと言ってねーだろ、思いこみか、俺の性格を無視した思いこみか」

思ったことをそのまま口に出して叱られる、これも何回目か分からない。
普段なら笑って返す発言も、今日はただただ胸に突き刺さるようにいたい。

「黒田さん
おれは」

これから二年間、この重責を背負うんですか、俺は。
あの敗北がもたらした責任、それを改めて思い知る。

「…いえ、何でもないです」

敗北者。
王者を王座から引き下ろした紛れもない張本人。
泥に沈むような緩やかな精神の磨耗、この果てに何があるのかさえ見えないまま進む恐怖に震えながら、それを隠そうと立ち上がった所で、強引に右手を引かれた俺は見事にしりもちをつき黒田さんの横に座り込む形になった。

「いったいなぁ…何するんですか?」

返事や言葉は聞こえない。
ただ無言で頭に置かれた手が、前を向いたまま決してこちらを向かない黒田さんの存在が暖かくて。

「…何してるんですか」

「うるせえ、5分休んだら帰るぞ」

顔を見られないように黒田さんに寄りかかって、貯めていた物を吐き出すように静かに涙を流す俺は、今だけ重責から逃れることを許されたように感じた。




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