28


「粟田口の刀として、終わらせてやりたいのです」





すすり泣く声で薬研は目を覚ました。どうやら手入れ部屋に寝かされていたようで、戦装束や内番服ではなく白い浴衣を着せられている。

鬼化が進んでいた体はすっかり元通りになっていた。

一体、どうして、何故。
頭の中で疑問が回るが答えは見つからない。もう手遅れな程に穢れは薬研を侵食していた。それこそ、折られても本霊には戻れない程。だがそれは覚悟していたことだ。契約がなされている状態で主人たる審神者を殺すということはそういうことだ。

枕元にあった『薬研藤四郎』を手繰り寄せ、鞘から抜いてみる。美しい鈍色だった。唖然としていると、手入れ部屋の障子が遠慮がちに開かれた。

「薬研、にぃさん……っ?みんな、薬研兄さんが、!」
「薬研!!」
「薬研兄さん!」

障子を開けたのは五虎退で、起き上がっている薬研の姿を確認すると呆然としたように名前を呟き、そして後ろに控えていたのであろう兄弟たちに声をかけた。

涙声の五虎退が薬研に飛びついて、兄弟たちが慌ただしく中へ入ってくる。誰もかれもが目に涙を浮かべていた。
状況についていけず固まっていた薬研が我に返ったのは、静かに部屋に入って来た一期に優しく抱き留められた時だった。

「すまない薬研、お前には辛い思いをさせたね……」
「いち兄、俺は、」
「ありがとう。お前のお陰で、主殿も私たちも救われた」

ありがとう。一期の口からその言葉が零れ落ちた時、無意識の内に薬研の目から涙が一粒落ちた。

その涙に慌ててどこか痛いのか、不調でもあるのか心配してくれている兄弟たちに言葉を返したいが、どうも言葉が出てこない。首を横に振って心配ないと主張するが、それが兄弟たちに正しく伝わっているのかは定かではない。

唐突に前任の最期を思い出した。胸を短刀で一突き。
何故、どうして、お前たちが私を裏切るのか、と喚いていたが最期の最後にふと正気を取り戻したかのようにふわりと微笑み呟いた。「ありがとう」、と。

何故そんなことを言ったのか今までは理解できなかったが、漸く今理解出来た。

────俺っち、ちゃんと。懐刀として、あんたの矜持を守れたか?大将




薬研が手入れ部屋で兄弟たちに泣き顔を晒していた頃離れに来客があった。縁側で茶を飲んでいた三日月と手鞠の傍に座るのは初期刀の歌仙兼定。
頑なに手鞠の前に出ることをしなかった歌仙がようやく姿を現した。

「こんばんわ、歌仙兼定くん。手入れでもしに来たのかな?」
「いいや、違うよ。……君には礼を言うよ、審神者殿。ありがとう」
「どういたしまして!と言っても私は何もしてないんだけどね」

悪戯っ子のように笑う手鞠は何やら意味深な目を三日月に向ける。
そんな視線を受けた三日月もこれまた意味深に笑う。手の内を多く晒すつもりはないらしい。

全く、この主従は。もうこの本丸に審神者殿を害しようなんて考えている者はいないのに。

溜息をつきながらも歌仙も笑った。差し出された茶を一口飲む。じんわりと傷ついた身体に染み渡るような味だ。

……いつだったか、同じような茶を飲んだことがある。確か、初出陣の後だったような気がする。泣きそうになれながらも前任が差し出してきた茶と、よく似ている味だ。

「君のお陰でこの本丸は救われた。誰もが和霊を取り戻し、本分を思い出した。もう僕も安心だ」

ピシリ。歌仙が傍らに置いていた鞘の中からそんな音がする。

ピシ、ピシリ。音が止まることはない。

「…………ここの刀たちが辛うじて堕ちていなかったのは、君のお陰なんだね。君がこの本丸の、彼らの穢れを一身で受け止めていたから」
「僕はここの初期刀だからね。彼女を止めることも、彼女を終わらせることも出来なかったから、これぐらいはしないと」

会話をしている間も鞘から聞こえる音────刀にヒビが入っていく音は止まらない。
折れてしまうというのに歌仙の顔は穏やかだ。美しくなった庭を穏やかな目で見詰めている。

恐らく、この歌仙兼定は本霊には戻ることが出来ないだろう。それ程にも彼がその身に溜め込んでいる穢れは濃い。 浄化しきれない程の穢れを溜め込んでしまえば本霊には戻れないことを覚悟の上で歌仙は穢れを背負うことにしたのだ。その覚悟に、誉に敬意を持って手鞠は口を開いた。

「歌仙兼定。君は立派に初期刀を務めてくれたね、……ありがとう」
「恐悦至極」

パキン。満足そうに笑って、歌仙兼定は折れた。
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