15


ふらふらと、まるで幽鬼のように長谷部は母屋の中を歩いていた。いつの間にか手入れをされていたかのように体から傷は消えている。

確かに首を落としたのだ。頭が転がっていくのも、その体が力なく倒れるのも、肉を断った感触も全て覚えている。なのにあの審神者は何もなかったかのように、平然と長谷部の前に現れた。

「…………何なのだ、あの審神者は」
「大将がどうかしたのか?」

立ち止まり、自身の手を見ながら呟いた長谷部に反応したのは前から歩いてきた薬研だった。

手には水が入った桶と清潔な布を持っている。動くことも出来ない兄弟の体を清めてやる為に用意したのだろうと想像出来たが、それよりも気になる言葉があった。

薬研が「大将」と審神者を主と認める言葉を吐いたのだ。
目を見開く長谷部の顔で気付いたのだろう、困ったように笑った。

「あー……いち兄には言わねえでくれ、長谷部の旦那」
「お前は、あの審神者を主と認めたのか」
「俺っちは大将がここにやって来て俺の傷を直してくれてから、ずっと大将だって認めてるぜ。もっともいち兄やら兄弟に邪魔されて会いに行けてねぇけどな」
「ッ何故だ!何故、そうも簡単に認めることができる!?人間は俺たちを裏切ったんだぞ!!」
「俺たちはその人間の想いから作られてるんだぜ、旦那」

さらりと述べた薬研に長谷部は激昂した。その声は大きく響いたが誰も出てこないことに薬研は安堵した。

ただでさえ審神者の元へ行かないように兄弟たちに監視のようなものをされているのだ。
審神者を主と認めているなんてバレてしまえば部屋から出ることもままならなくなるだろう。それだけは避けねばいけないのだ。いつか、審神者の元に行く為には。

「人間が皆一緒じゃねぇって知ってるだろ?なんだ、信長の大将と黒田の大将が同じだって言うのか?」
「そんな訳あるか!」
「……旦那だって判ってんじゃねぇか、人の数だけ違いがあるって。それに前任と他の人間全部が同じだって言い切ったら、かつての大将たちも同じ醜いもんだって言い切るようなもんだぜ?」

晴れやかに笑う薬研の中に憎しみや怒りといった負の感情は見当たらない。それがどうしても気に食わなかった。
短刀はいくらでも手に入ると言い、何度も手折られたではないか。何故そう簡単に人間を許せるのか。

「後ろばっか見てたら、見えるもんも見えなくなっちまうぜ。旦那」

長谷部の激しい怒りに気付いているのかいないのか、その言葉だけを残し薬研は立ち去った。その姿を追うこともせず長谷部は溢れ出そうになる怒りをただ抑え、薬研の言葉の意味を考えていた。

許せというのか、人間を。契約で縛り、神を蹂躙した人間を。

長谷部は前任に近侍として最も多く指名された刀である。主命とあらば。基本的に審神者に忠義を誓う彼は、前任にとって都合が良かったのだろう。

主命だと長谷部に言っては重傷で動けない刀を自分に逆らった刀を折らせた。前任にとってはただの遊戯だったそれも長谷部にとっては『仲間を殺さなければならない』という拷問だった。

止めなければ。止めさせなければ。
幾度もそう思った。幾度もそう進言しようと思った。だが契約に縛られた体では反旗を翻すことも出来なかった。

そうしている内に前任が殺された。

ころさなければ。けさなければ。なかまが、また。黒い感情に飲み込まれ、激情のまま審神者がいるであろう離れへ足を進めようとした長谷部の前に青い衣が現れた。つい先程見た気がする青だ。

「なんだ、少し見ぬ間に『堕ちかけ』か。どうした、また主を殺しに行くのか?」
「殺さなければいけないのだ。そこを退け、三日月宗近」
「退かぬよ。それに主は殺させぬ、お主は今ここで俺に折られるのだから」

紫色の瞳が赤く染まりつつあるのを見て、三日月は柄に手をかけた。
主である手鞠は殺されたって死なないだろう。けれど一時とはいえ目の前で失うということはとても恐ろしいものだと知ったのだ。

もう二度とあんな思いはしたくない。故に、失う可能性があるならその芽を摘んでおくに越したことはない。

いつも通りの穏やかな笑みを浮かべつつこちらに殺意を向ける三日月に、長谷部も笑う。ここで折られるのはそれまでだ。逆に三日月を折って審神者を殺せれば上々。
どちらにせよ、もう二度と仲間が苦しむ様を見ることもない。そう思えばどちらでもいいのだ。歪んだ思考の中で長谷部は笑って刀を抜いた。

「ははっ……だからぁ?」

ガキン、と鋼と鋼が交わる音が響いた。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -