04


降谷の幼馴染である一野辺千尋は天使である。
幼い頃、容姿の所為で周囲の子供たちから遠巻きにされ、時には虐められていた降谷に手を差し伸べてくれた彼女。

『だいじょうぶ?』

安心させるように降谷の手を握ってくれたことを、その時の手の温かさを忘れたことなどない。
降谷にとって千尋は天使であり、守るべき存在であり、──誰にも渡したくない存在だ。同じ幼馴染の景光もそれは同じで、物心ついた時から二人で彼女を囲っていた。誰にも傷つけさせない、誰にも触れさせない、大切な大切な存在。だと、いうのに。

「……誰にやられたんだ」
「……」

人の多い駅前で、千尋と逸れてしまった。直ぐに、とはいかなかったが合流した千尋は目を真っ赤に腫らしていて。それを目にした景光の口から低い声が零れた。
千尋を泣かせたであろう誰かに対して怒りと殺意を沸き上がらせている景光とは反対に、降谷の心は罪悪感で満たされている。もし、もしも自分たちが傍から離れなかったら、彼女を泣かしてしまうことなんてなかったのに。
誰にやられたのか詰問する景光にだんまりを決め込んだ千尋の体を降谷はそっと抱き締めた。

「可哀想に…!俺、俺たちが離れたばっかりに…!ごめん、ごめんなぁ…!!」
「なぁ、誰にやられたんだ?教えてくれよ。大丈夫、千尋が気にすることなんて何もないからな」
「……誤解してるみたいだけど」

ぼろぼろと涙を零す降谷と、笑顔のまま凄む景光。傍から見れば異様な光景ではあるが千尋は気にしていないようで平然と答えた。

「塵が目に入ったから洗ってきただけ。心配、かけてごめんね」

嘘だ。千尋の言葉に直感的にそう思った。だって洗ってきたと言う割には彼女が着ている制服の襟元は少しも濡れていないし、涙の痕がほんのりと残っている。
このまま追及することもできるが、降谷と景光が幾ら言葉を重ねたとしてもこれ以上何も言ってくれないだろう。幼馴染としての経験がそう結論を出した。

「ほら、早く行こう」

そう言って千尋が笑うのなら、降谷たちは何も言えない。


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甘いクレープを食べながらふにゃふにゃと頬を緩ませている千尋から降谷は目が離せない。どきどきと胸が脈打って頬に熱が集まるのが判る。彼女のこんな笑顔を見るのはいつぶりだろうか。

「何か楽しいことでもあったのか?」
「え?」
「いや、その…なんか、楽しそうだし」

思わず口から零れた疑問に千尋が首を傾げる。何か思うところがあるのか、その表情がとろりと蕩けたのを見てカッ、と顔が更に赤くなったのが判った。次から次へと愛おしいという感情が溢れてどうにかなってしまいそうだ。
自分たちといて楽しく思ってくれるのか、なんて。期待を込めて千尋を見つめる。すると彼女は、そんな期待に応えるように首を縦に振った。

「うん、楽しい」
「ぉ、俺も、俺たちも…千尋といられて、楽しい」

しどろもどろになりながら、何とか言葉を返す。
大切で大好きな幼馴染たちに囲まれて、平穏な時間を過ごして、──いつまでもこんな時間が続くといいと願うのは傲慢だろうか。


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誰もいない、自分の部屋で携帯を眺める。液晶画面に映っている名前は大切な人の名前で、だらしなく頬が緩んでしまう。

楽しいことでもあったのか、と降谷に問われた時はそんなにも顔に出ていたのかと少しばかり恥ずかしくなったが、楽しいこと──嬉しいことがあったのは事実だ。頷いた千尋を見て、降谷が顔を赤らめていたのが気になるがまぁいつものことである。
それよりも、と液晶の受話器のマークをタッチして電話をかける。幾度かのコール音の後、つい数時間前に聞いた声が聞こえて千尋は更に頬を緩めた。

「もしもし、治くん?」
『なんだい?』
「……すき」

ぽつりと零れた言葉は本心からの言葉である。好きで好きで堪らなくって、溢れてしまいそうな感情を口にする。
すると電話の向こう側は途端に静かになって、深い溜息が聞こえてきた。想いが通じたからと調子に乗りすぎただろうか。

『……そういう可愛いことを電話で云わないでよ。今すぐ会いたくなるじゃないか』
「私も、会いたい」

聞くところによると、太宰たちは横浜に住んでいるらしい。其処には嘗ての上司である森や尾崎もいると聞いてすぐにでも会いに行きたくなったけれど今日は幼馴染たちがすぐ近くにいたこともあって諦めた。
焦ってはいけない。焦らず、入念に準備して、皆の元に行くべきだ。そうは頭で理解していても、こう声を聞いていると会いたくなるのだから人間の心というものは厄介だ。

『私も好きだよ。千尋のことが、誰よりも』
「……うん」

今まで離れていた分を補うように囁かれる愛の言葉。それを聞くだけで幸せな気分になれる。
単純だと自分でも思うが、ずっとずっと想っていたのだ。それくらい許してほしい。
暫くそうして太宰と言葉を交わしていたのだが、電話の向こう側がやけに騒がしいことに気が付いた。何かあったのだろうか。

『うわ、もう気付かれた…。また電話するから』
「うん、待ってる」
『…………だから!今は私が話してるんだから邪魔しないでよ、姐さん!!』

ぶつり。

名前が残る通話画面を見て、千尋は小さく笑みを零した。
ああ、早くみんなの傍に行きたい。



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