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千尋は騙されているのだと降谷が言った。
優しいところは彼女の素晴らしい美点であるけれど、それを男につけこまれているのだと。だから千尋は降谷を見てくれなかった。降谷の言葉に答えてくれなかった。

そう聞いて諸伏は大きく頷いた。降谷の口から聞いた千尋の近況はどうにも信じ難く、騙されて利用されているのだと考えた方が納得できる。

美しい彼女。優しい彼女。
そんな千尋を利用している男に対して腸が煮えくり返った。本当は今すぐにでも彼女を男から引き剥がしてやりたいけれど、そうしても千尋の目は覚めないだろう。

だから、少しばかり仕掛けることにした。



とあるホテルに併設されているBARで時間を潰す。上の宿泊階で依頼人と中也が話しているのでそれが終わるまで太宰は暇である。なので適当に酒を注文し、のんびりと飲む。

だが味気ない。物足りないというか、少しばかり寂しさがあるというか。恐らくそれはこうやって酒を飲む時は友人である織田と、それから時間が空けば坂口と、他愛ないことを喋りながら飲んでいるからだろう。

千尋とだって飲むこともあるが今の彼女は身重であるし、飲酒なんてさせてしまったら多方面から雷が落ちるのは目に見えている。
とはいえ酒は飲まずとも晩酌には付き合ってくれるので寂しくはないが。

そんな風に思いを馳せていると、一人の女が太宰に近付いてきた。

「お兄さん、おひとりかしら?よければ一緒にいかが?」
「……あなたのような女性に誘われるなんて光栄ですね、私でよければ」

にこりと笑って答えると、女はまぁ、なんて頬を薄く染めた。
厚い化粧にキツすぎる香水、少しばかり露出がある服装。女の狙いがなんなのか容易く判ってしまった。それでも誘いに乗ったのは、彼女の後ろについているであろう男に物申す為である。

何も判っていないあの男に、何も判ろうとしない男に理解させるのは少々骨が折れるがこれも今後の幸せの為なので頑張るしかない。

媚びるように笑う女にあわせて太宰も笑ってみせた。




インカムから降谷の満足そうな吐息が聞こえてきて、つられて諸伏も小さく笑みを浮かべた。

「引っかかったな……。ヒロ、後は頼む」
「ああ、任せてくれ。これできっと千尋も目を覚ましてくれる筈だ」

降谷──バーボンが用意した組織の下っ端の女が太宰という男に迫っているのを観察する。太宰は上機嫌そうに笑っており、これは諸伏たちの計画通りの絵が撮れそうだ。

組織の連中に「スコッチ」が生きていると知られないように変装するのは大変だったが、今後のことを考えたらこんな苦労はなんでもない。

あの男が他の女に現を抜かしている姿を見れば、千尋もきっと考えを改めてくれるだろう。
優しい彼女は裏切られたことに酷く傷付くだろうから、それを降谷と一緒に慰めてやるのだ。まるで昔のように。

そうしたらきっと。
また、自分たちを見てくれる筈だ。

「……私、少し酔っ払っちゃったみたい。──上に部屋を取っているの、飲み直さない?」

女の甘えるような声が諸伏の耳に届く。手元のグラスに落としていた視線を上げると、女が太宰の腕に撓垂れ掛かろうとしているところだった。

女はほんのりと頬を赤く染めているが、酔っ払っていないことくらい見てわかる。だが、千尋には劣るとはいえ美しく豊満な肉体を持つ女が目の前で無防備な姿を見せていて、何も思わない男はいないだろう。

二人が部屋へと入っていく姿を撮影し、千尋に見せる。千尋は太宰に裏切られたと知るには充分だろう。

これで終わりだと思ったのだがどうにも様子がおかしい。ばちん、と叩く音が響く。女が伸ばした手を太宰が叩き落としたらしい。
白い肌を薄らと赤くして呆然としている女に太宰は冷ややかな目を向けている。辺りの温度が数度下がったような気がしたのは気の所為ではないだろう。

「触らないでくれるかな」
「えっ」
「おや、聞こえなかったのかい?その耳は飾りなのかな。触るなと言ったのだけど」
「ご、ごめんなさい……」

底冷えするような声に女がか細い声で謝罪を述べる。下っ端とはいえ裏社会で生きる女を威圧するとは、あの男──太宰治とは一体。

鋭い目つきで見つめる諸伏に気付いているのかいないのか、太宰はカラカラと笑い出した。静かなBARには不釣り合いなその笑い声に女がたじろいでいるのが見える。
なんだなんだと周りから向けられる視線を気にすることなく、にたにたと笑う姿に不気味さを抱く。何を考えているのか全く読めない。

「何をするのかと思えば古典的な手を使うものだ。君の上に伝えてくれるかな。君たちが何をしようとも彼女を渡すつもりは毛頭ないってね」

歌うように言葉を並べていく太宰。つまり、女が自分たちの手引きでここにいるということをわかっているらしい。太宰の的な言葉にぎしりと奥歯が軋んだ。
彼女は渡さない?それは此方の台詞だ。自分たちを引き裂いた元凶であるのに何も思っていない様子の太宰に怒りが沸々と煮え滾っていく。本当は今すぐにでも殺してやりたいけれど、それでは計画が狂ってしまう。耐えなければ。

「まァ、聞いてるだろうけど」

馬鹿にしたように笑っている声に、どうしても殺意を抱いてしまう。
やはり今すぐ此処で殺してしまおうか。折角組織の人間がこの場にいるのだから、罪を擦り付けたとしても何の問題もない。降谷には叱られるかましれないが、それも太宰の発言を聞かせてやればこの怒りを理解する筈だ。

そう思い、諸伏が立ち上がったところで赤髪の男がBARに入ってきた。
屋内だというに帽子を被ったままの男は太宰を見て、その端整な顔立ちを不愉快そうに歪める。

「……おい。何してンだ手前はよ」
「中也ってば遅ーい。お陰で一杯飲めたからいいのだけど」
「あァ!?仕事中だろうが!千尋にチクんぞ」

千尋、と。帽子の男の口から出てきた名前に息を飲む。まさかこの男も千尋のことを。

「じゃあ、さようなら」

にこやかに笑いながら去っていく太宰。その冷ややかな目はしっかりと諸伏を捉えていて、ごくりと喉を鳴らす。あの男を排除するに少しばかり骨が折れそうだけれど、必ず殺してやらねば。




愛しい妻が待つ家へと帰る。すると腹がぽっこりと膨らんでいる千尋がおかえりと出迎えてくれるものだから、それだけで生きていてよかったなんて考えてしまう。
靴を脱いで家の中へ入ろうとして、ふと思いついたことをそのまま口にした。

「千尋。私にハニトラしてみてくれるかい」

太宰の言葉にきょとりとした千尋は不思議そうに首を傾げながらも、太宰の腕にそっと絡みついてきた。ふわりと香る、優しい柔軟剤の匂い。先程の女とは違う、自分と揃いの匂いと無意識の内に強ばっていた体から力が抜けていく。

嘗てこんな風に甘えられた男たちがいると考えると少しどころではない嫉妬心が湧き上がってくるが、今の彼女は太宰だけのものである。千尋の心が他の男に向くこともない。嗚呼、なんて幸せだ。でれでれとだらしなく頬を緩ませていると、千尋が甘えるように口を開いた。

「……お願いしたいことがあるんだけどね、」
「なんだい?なんでも買っちゃうよ!」
「女物の香水の匂いがする理由を教えてくれる?」
「あっそれは」

ぎちり、と腕を掴んでいる手が不穏な音を立てる。此方を見上げている千尋の瞳は冷ややかで、太宰の優秀な頭脳は浮気を疑われているのだとすぐ様察してしまう。
そんな姿も可愛らしいなと思いつつ自身にかけられている疑いを晴らすべく太宰は慌てて口を開いた。

「浮気なんかしていないよ!本当さ!」
「……怪しい」



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