13


 のどかな公園。遊ぶ子供たちの笑い声を聞きながら、千尋は木陰に置かれたベンチに腰掛ける。そして労るようにまだ薄い己の腹を撫でた。

 ここに新しい命があるのだと知ったのはほんの数ヶ月前。『おめでたですね』と目尻に皺を作った医師にそう告げられ、呆然としてしまった千尋を太宰が優しく抱き締めてくれた。

「家族で幸せになろう」

 そう言ってくれた太宰の表情は今でも思い出せる。普段は見せないような、泣いてしまいそうな顔で笑うものだから千尋もつられて笑ってしまった。

 千尋の懐妊は両親を始めとする色んな人間に祝福された。特に尾崎など此方が恐縮してしまうほどの量を贈り物をしてくれる。これでは出産に至った時が恐ろしい、とは太宰の言葉でそれに千尋は全力で頷いてしまった。元々懐に入れた人間に甘い人ではあるけれど、ここまでではなかったような気がするのだが。

 妊婦である千尋に無茶な仕事はさせられないと、半ば無理矢理育休を取らされたのはつい先日のこと。大袈裟な、と思ったが心配されるのは幸せで擽ったい。
 ずっと家に引き篭っているのも気が滅入るし、健康にもよくないと聞いたので散歩がてら近所の公園へ。

「はいこれ、千尋の好きなやつ」
「ありがとう」

 ベンチに腰掛け、ぼんやりとしている千尋の目の前にペットボトルのお茶が差し出された。千尋が日向ぼっこを堪能している間に太宰が買いに行ってくれたらしい。それを受け取ると、太宰が隣に腰掛けた。

「家でゆっくりするのもいいけれど、こうしてのんびりするのもいいね。体調は平気かい?」
「うん、大丈夫」
「それならよかった」

 ぽすり。太宰の腕にもたれ掛かってその肩に頭を預ける。今日は風もないし、日差しも暖かいのでこのまま眠ってしまいそうだ。特に会話をすることもなく、その微睡みに身を任せようとした時誰かが此方に近付いてくるような気配を感じた。

「……?」

 一体誰だろうか。ここは公園の隅で、このベンチ以外何もない。わざわざここに来るなんて、と不思議に思った千尋が其方に目をやるよりも早く太宰に抱き込まれた。

「治くん?」
「私たちに何か用かい?」
「……ああ、毒されているのか」

 太宰のピリついた声と、聞き覚えのある声。どこかで聞いたことのある声だ。誰のものだっけ、と太宰の腕の中で考えていると声の主が一歩近づいてきたのがわかった。

「千尋、帰ろう」
「……降谷くん?」

 とろりと蕩けた、過分に甘さが乗った声。記憶の中から名前を引っ張り出して呟くと、声の主────数年ぶりに会った幼馴染が嬉しそうに声を上げて笑った。

 どうして此処に。わざわざ会いにきたのか。自分たちの道はあの日分たれたと言うのに。また一歩近づいて来る足音がすると、自分を抱き締める力が強くなった。

「そう、俺だよ。ずっとずっと会いたかった……。もうこれ以上汚れないように守って揚げるから一緒に帰ろう。千尋の帰る場所は俺たちだろ?」
「────これはまた、面白くない冗談だ」
「……なんだって?」

 太宰の、嘲笑を含んだ言葉に降谷の声が一段低くなる。穏やかな微睡みはいつの間にか消え去り、ひりついた空気が辺りを漂う。少し離れた場所からは誰かの楽しげな声が聞こえてくるものだから、此処だけが世界から切り離されてしまったような、そんな錯覚に陥ってしまいそうだ。

「千尋の帰る場所は私で、居場所も私だ。君が何者かなんて知らないけれど、私たちの間に入り込める隙間なんて万に一つもないのだから諦め給え」
「っお前!!」
「治くん、帰ろう」

 降谷が激昂した声を聞きながら千尋は顔をあげ、太宰にそう提案する。このままでは流血沙汰になってしまうかもしれない、そう判断したからだ。

「もういいのかい?あれなら私が、」
「いい、いいの。帰りたい」
「……そう。千尋がそう言うんなら帰ろうか」

 腰を上げた太宰に胸を撫で下ろし、千尋も一緒に立ち上がる。その間千尋は一切降谷に目を向けない。見てしまったら終わりだとそう思ったから。

 不自然なほど目を合わせようとしない千尋に降谷も気づいたのだろう、震える声で名前を呼んできた。

「なぁ、どうしてこっちを見てくれないんだ?なぁ……」
「……ごめん」

 悲痛な声で訴えてくる降谷に小さく謝罪を溢す。目を逸らした先では子供たちが笑っていて、その姿が過去の自分たちと重なる。

 どうしてこうなってしまったのだろう。あの頃はよき友人だったのに。それともそう思っていたのは自分だけで、降谷たちは違ったのだろうか。聞きたいけれどどう問えばいいのかわからず、千尋は太宰に肩を抱かれたまま足早に立ち去る。

「絶対に諦めないからな……!」

 背中に、そんな言葉を受けながら。



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