12


 親友であり幼馴染である諸伏が死にかけたから、だろうか。無性に千尋に会いたくなって、降谷は誰もいないデスクで息を吐いた。

 組織で組んでいたスコッチ──諸伏がNOCだと気付かれてしまった今、降谷が演じているバーボンにも疑いの目が向けられている。そんな状況で千尋に会いに行くなんて自殺行為にも等しいし、なによりも彼女自身を危険に晒すことになってしまう。

 そう、頭では理解しているのに。彼女に会いたくて会いたくて堪らない。今何をしているだろうか。理不尽に傷付けられていないか、悲しみに暮れていないか。ただただ心配だけが募っていく。

そんなに気になるのなら部下に──例えば風見などに様子を見てもらえばいい、と理性的な自分が言うがやはりこの目で見たい。が、迂闊に動けば足元を掬われるかもしれない。そんな考えが頭をよぎって降谷は雁字搦めになってしまう。

 はあ。二度目の溜め息は誰にも拾われず消えていく筈だったそれを拾った者がいる。
 
「どうした?溜め息なんてついて。悩み事か?」
「ヒロ……」

 差し入れだと缶コーヒーを持ってきてくれた諸伏がにこりと笑う。その顔を見ているとあの時味わった恐怖と安堵が再び顔を出してきて、気付けば言うつもりのなかった心がぽろりと落ちた。

「千尋に会いたい」

 全てが終わったら迎えに行こうと諸伏と約束したばかりだというのに、そんな感情が日に日に増していく。

 言葉を交わせなくてもいい。ただ一目見れたら、声を聞けたら。千尋がこの国で生きていて、今日も健やかに笑っている事実を実感したい。
 そうぽつぽつと己の心を吐露した降谷の肩を諸伏が優しく叩いた。

「じゃあ変装でもして会いに行こう。ベルモットに仕込まれたんだろう?」

「……ああ!」

 任務の遂行よりも私欲を優先させる自分は警察官失格だろうな。頭の片隅でそんなことを考える。けれど湧き立つ心を止めることは出来ず、降谷は心の底から笑みを浮かべた。



 □



「……結婚した?」
「ええ、つい先日。今は横浜に住んでいますよ」

 久しぶりに訪れた、千尋の実家。インターホンを鳴らすと出てきたのは、記憶の中よりも幾らか老いた彼女の母親だった。降谷にも諸伏にもよくしてくれた彼女に嘘をつくのは少しばかり心苦しかったけれど、危険に巻き込む訳にはいかない。

 高校の同級生、という設定で訪問した降谷に彼女の母が告げたのは「結婚した」という信じられない言葉。何やら声を掛けられているけれど、降谷の耳には何も入ってこない。

 千尋が?結婚した?自分たちの知らない男と?ゆっくりと言われた言葉を理解し、湧き上がってきたのは見知らぬ男への憎悪と怒り、それから千尋への変わらぬ愛情。

彼女は優しいから仕方なく結婚してやったのだろう。それならば降谷たちが迎えに行ったら、きっと。そんなことを考えながら不思議そうにしている彼女の母ににこりと微笑んだ。

「教えてくださってありがとうございます。じゃあ、会いに行きますね」

 にこやかに笑って別れの挨拶を告げ、降谷はその足で横浜へと向かう。勿論諸伏には連絡を入れて。「抜け駆けするなよ」なんて笑っていたけれど、諸伏も千尋に無体を働いた男に対して怒りを抱いているのは顔を見ずとも判った。

「守ってやらないと」

 ぽつりと言葉が溢れた。そう、天使のような彼女が傷つき悲しむなんてことはあってはならない。千尋は降谷と諸伏が作った箱庭の中でただただ幸福を享受していればそれでいい。



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