08


あの頃とは違う部屋で、あの頃と似たような椅子に腰掛けて笑う上司に千尋はぺこりと頭を下げた。少し若く見える嘗ての上司───森は、そんな千尋を見てにこりと笑う。

「これからまた、よろしく頼むよ」
「はい、よろしくお願いします」








PDAに入社した千尋が配属されたのは資料室だった。今まで受けた依頼の詳細や関連資料が収められたその部屋にはひっきりなしに人が訪れて、対応を任されている千尋はそっと息を吐く。
元々デスクワークよりも体を動かす方が好きな千尋には少々酷だ。

返却された資料を整理していると、頭上からくすくすと笑みが降ってきた。見上げると嘗ての上司であり今も上司である尾崎が、華やかな着物を纏って千尋を見下ろしてる。
朱が引かれた眦はとろりと蕩けていて、千尋が心底愛おしいといわんばかりの顔だ。

再びこの世に生を受けていると伝えたとき。
再び尾崎の下で働くことになったとき。
涙を流して喜んでくれた彼女は相変わらず千尋に甘い。姉のような母のような甘やかしを享受している千尋も千尋だが。

「千尋や。仕事には慣れたかえ?」
「…………デスクワークは苦手です」
「お主は変わらんなァ」

苦虫を噛み潰したような顔をする千尋にからころと尾崎が笑う。

「まぁ暫くの我慢じゃ。新人はまず資料室と決まっておるでな」
「そうなんですか?」
「うむ。社員の顔を覚え、過去を学ぶにはうってつけの場所だからの」

尾崎の言葉に確かに、と頷く。終わった任務の資料を片付けに来たり、過去の資料を見にきたり、この部屋にはひっきりなしに人が訪れるのだ。資料を渡す際は誰に貸し出したのか記録する必要がある為、自然とやってきた社員の名前と顔が判ってくる。

空き時間には過去にどんな依頼を受けたのか、報告書や資料を読んで学ぶこともしているし、それを考えると確かにここは新人が配属されるにはぴったりかもしれない。

だが生来喋ることが苦手な千尋には中々厳しい環境だ。
気疲れしてしまったので尾崎に断りを入れて休憩に出る。見かけた自販機で珈琲を買い、近くにあったベンチに腰掛けると自然と口から息が零れた。

「やァ、休憩かい?」
「……治くんはサボりだね」
「嫌だなァ、ちゃんと仕事は片付けてきたよ」

ひょっこりと現れた太宰が「ひどーい」なんて軽口を立てながら隣に座る。鼻先を擽る洗剤の匂いは千尋と御揃いのもので、薄っすらと朱に染まった頬を見られないようにそっと顔を逸らした。

PDAに勤めるにあたり、太宰と同棲を始めたのだが太宰から自分と同じ匂いがするという事実を認識する度に胸がどきどきしてしまう。このまま匂いで殺されてしまいそうだ、なんてらしくもないことを考えていると、太宰がそっと口を開いた。

「どうだい。慣れたかな」
「うん。皆、いいひと」
「そうだろう」

そう言う太宰の声は、ひどく穏やかで。その声を聞いていると死にたがっていた太宰が、漸く心穏やかに過ごせる場所を見つけられたのかと千尋も嬉しくなってしまう。
事実、そうだろう。マフィアから抜けた後、太宰は武装探偵社というPDAの前身のような社に入社したと聞いている。そしてその武装探偵社に所属していた社員と言葉を交わす太宰の表情は穏やかで、千尋が少しだけ嫉妬にかられていることは知らないだろう。

ずっと聞いてみたいと思っていたことがあることを思い出した。それを聞くのは少々恥ずかしいが、聞かねば判らないこともある。視線を下に落とし、缶コーヒーを握り締めながら千尋はそっと口を開いた。

「治くん。聞きたいこと、あるの」
「ん?」
「私のこと、いつから好きなの?」

再会してから、ずっと気になっていたこと。
千尋の記憶には太宰はいつも機嫌が悪くて、自分への好意なんて見えなかったように思う。何がきっかけで太自分のことを好きだと思ってくれたのだろうか。

ちらりと太宰の顔を見ると、彼はうろうろと視線を彷徨わせている。もしかして言いにくいことを問いてしまったのかもしれない。やっぱり忘れて、と言葉を続けようとした千尋の手に男らしい手が触れてきた。

「…………自覚したのは君が死んだと聞いた時。でもきっと、それより前から、出会った時から千尋のことが好きだったんだと思う」

穏やかな声は蜜がかけられているのでは、と思う程甘くて千尋の頬が更に赤くなる。
太宰の言葉を信じるのなら、出会ったあの日から両想いだということだ。胸がドキドキと脈打つ。太宰の瞳が千尋を映す。とろりとした瞳には熱がこもっていて、胸の奥がきゅうっと締め付けられた。

「そう言う千尋は?」
「初めて会った時から、ずっと」

そう。尾崎に命に救われて、ヨコハマの裏社会に足を踏み入れたあの日から。
二人の間に沈黙が降りる。けれど不思議と居心地はよくて、千尋はそっとそっと寄り添う。遠くから聞こえてくる音をぼんやりと聞いていると隣にいる太宰が深く思を吐いた。

「…………なんだ。もっと早く気付けばよかった」



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