文スト 短編 | ナノ
 中島/楽しかったですか?

あのひとは、花のように笑うひと。光の下で生きているひとなのだから無闇に触れてはいけないと思っているのに手を伸ばすことを止められない。

「顔色が悪いようだけれど、大丈夫?」
「……ええ、はい。少し寝不足なだけですから」
「若いからってあんまり無茶したら駄目よ。そういうのは後々くるんだから!」

私もね、と語り始めた彼女に曖昧に笑いつつ相槌を打つ。

横濱の片隅にある、落ち着いた雰囲気の喫茶店。彼女と会うのはいつも此処だった。初めて彼女と出会ったのはあの孤児院。職員としてやってきた彼女は敦の境遇に心を痛めたようで、あれやこれやと世話を焼いてくれた。そんな彼女とは院を「卒業」した後も月に一度か二度、こうして顔を合わせている。
彼女は今敦が何をしているのか全く知らない。知らせる心算もない。微温湯のようなこの時間を続けていく為には必要なことで────

「そうそう、敦くん。私、結婚することになったの」
「……え?」
「ずっとお付き合いしている人がいて……来月挙式なの。それで敦くんの都合さえよければ参列してほしいなって思って。どうかな?」

そう笑う彼女の言葉になんと返したのか覚えていない。ただ大切に大切に仕舞い込んできた宝物が汚されてしまったような感覚が、いつまでも心に残っていた。







「先生」

挙式当日。式が始まる前に、敦は彼女にいるであろう控え室を訪れた。敦が来たことに気が付いた彼女らぱっと────それこそ花が咲いたように笑う。

「敦くん!来てくれたのね、ありがとう」
「先生、僕、知ってたんです」
「……敦くん?」

晴れの日には似つかわしくない、沈んだ声。花嫁衣裳に身を包んだ彼女が心配そうに此方へ近付いてくる足音を聞きながら敦はそっと囁いた。

「僕のことが好きで心配してくれているんじゃなくて、僕のことを心配している自分のことが好きなんですよね?」
「……一体何を、」

彼女が驚いた目で敦を見る。何故気付かれた、といわんばかりの彼女の表情に敦は自嘲気味に笑みを浮かべた。
ほんとうは、彼女が孤児院にやって来た時から気付いていた。彼女はただ憐れな子供を心配する自分に酔っているだけ。だから敦のことを気にかけてくれても、環境を改善しようとはしなかった。

その事実に目を逸らし、今まで彼女が望む憐れな子供で居続けたのはそうしていたらずっと傍にいてくれるのではと思っていたから。
だが彼女が他の人間を選ぶというのならもうお仕舞いだ。

「ねぇ先生。今まであなたの心を満足させてきたんですから、次は僕のことを満足させてくれますよね?」

後ろ手に持っていた麻袋を床へと放り投げる。
べちゃりと音を立てて床に転がった麻袋の口が弛み、中から出てきたものに彼女は絶叫した。その声に心が踊ってしまうのは何故だろう。自分自身の中に湧き上がってきた感情の名前をつけることはせず、敦は泣き叫ぶ彼女ににこりと笑いかけた

「先生、ずっと僕の傍にいてくださいね」

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