▼ ドストエフスキー/愛しいひとよ、その目にうつるものは
今日もまた彼女はからからと笑う。
「お花はどうやって咲くか知ってる?あの人が泣いているのを見て笑っているのよ!」
開けっ放しの窓から入り込んだ風がふわりとカーテンを揺らす。カーテンの下には無機質な鉄が窓枠を覆っていて、空に手を伸ばすことすら叶わない。
白を基調とした部屋。微かに花の香りが漂う部屋の、柔らかなベッドの上で彼女は痩せ細った体で笑う。
「今日も貴女は楽しそうですね。貴女が笑う姿を見ていると僕も嬉しくなってしまう」
ベッドサイドに置かれた椅子に腰掛け、彼女に向かって微笑みかける。だが自分の言葉が彼女に届くことは決してないだろう。
だって彼女の心をズタズタに引き裂いて粉々にして壊したのは──自分なのだから。
フョードル・ドストエフスキーが初めて「壊した」人間、それが彼女であった。別に嫌いだからとかどうでもいいからとか、そんな理由ではない。
愛して愛して愛してやまないからこそ、ドストエフスキーは彼女の心を壊した。そうしたらきっと彼女はずっと笑っていてくれるから。こんな世界でもきっと、彼女の目には美しく楽しい世界としか映らないから。
「貴女のことが好きなんです。だから貴女にはずっと幸せでいてほしい。汚いものなんて見ないでほしい────本当はその目を潰してしまおうと思っていたんですが、止めたんですよ。何もかもが見えなくなってしまったら、貴女は退屈で死んでしまうと思って」
「楽しい?楽しいって何かしら?それは食べること?わかった、蝶々のことね!」
「僕の愛しいひと、どうかそのままでいてくださいね」
今日もまた彼女はからからと笑う。
誰にも理解されない言葉を吐きながら、心底幸せだといわんばかりの顔で笑うのだ。
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