▼ 太宰/唯一になったひと
昔から自分以外の人間に興味を抱くことが出来なかった。それは親兄弟であってもそうで、交通事故で家族が全員死んだと聞かされても涙ひとつ出なかった私は人間として欠陥品なのだろう。
そんな人間に親しい人間が出来る筈もなく、独りで生きてきた訳だが酔狂な人間が目の前に現れた。
────彼の名前は太宰治という。
黒い外套を纏い、顔の半分を包帯で覆った彼は頬を赤らめ視線を彷徨わせながら口を開いた。
「あー……君のことが好き、なんだ。恋人になってくれないかい?」
「…………私は」
自分はつまらない人間だ。あなたが望んでいるような関係には屹度なれない。それでもよければ。断り文句のようなそれを口にしようとして、やめた。此方を見る彼の瞳は不安そうに揺れていて、それを見ていると突き放すようなことを言うのは憚れて差し出された手を握ると彼は心底嬉しそうに笑った。
どうして彼を突き放せなかったのか、その理由を六年経った今でも知ることは出来ていない。
□
「好きだ。君のことが愛しくて堪らない、君はどうかな」
「私もよ」
「ちゃんと言っておくれよ」
「……好き、よ」
「もしかして照れてる?可愛いなァ」
くすくすと笑う彼。その瞳は温かいもので溢れていて、むず痒くなった。
正直に言うと彼が向けてくる感情の殆どは理解出来ていない。けれど彼に囁かれる度に胸の奥が疼いてひどく心地いい。誰かの傍にいることがこんなにも居心地がいいだなんて初めて知った。そんな風に考えていたことを口にしていたら、何か変わっていただろうか。────後悔したって、もう遅い。
「知っていたよ、君が私に興味がないことくらい。でも、いつかはと思っていたんだ」
泣きそうな顔でつらつらと語る彼。その顔は嫌だ。彼に触れて、涙を拭ってやりたいと盛られた薬の所為でそれは叶わない。
「君が私を見てくれないなら、一緒に死ぬしかないと思うんだ」
ぎゅう、と抱き締められるが肌から伝わってくる感覚は鈍い。これも薬の所為だろうか。
────日常が崩れた切っ掛けは自分にとっては踏み出しそうとした一歩で、彼にとっては積み重ねられた最後の一歩だった。
いつものように好きだよと言われ、いつものように私もと返そうとして。でも今日は自分から好きだと言おうと言い淀んでしまった。それが駄目だったのだろう。彼は見る見るうちに顔を青くして、それから「もういいよ」と寂し気に言った。それがこの結果である。
ここで「愛してるよ」「あなたを見ている」と言ったところで今更どの口が、としか思われないだろう。だから、体の奥底から湧き上がってくる痛みに堪え乍ら口を開いた。
「太宰くんとなら、しんでもたのしそう」
目を見開いた彼に、へらりと笑いかけた。
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