▼ 太宰/幕はまだ上がっていないのよ
最近視線をよく感じる。ねっとりとしたそれが肌の上を滑っていると知覚する度になんとも悍ましい気分になるのだが、残念なことにその主はまだ判っていない。いっそ目の前に現れてくれたら、その脳天をかち割ってやれるのに。
なんて少々物騒なことを考えつつ目の前に積まれた書類を片付けながら友人に相談してみる。
「ねえ、どう思う?」
「ただ君が勘違いしてるんじゃないかい?じゃじゃ馬な君に恋するような物好きな人間がいるなんて些か信じられなーい」
同い年の上司である彼は此方を一瞥することもなく、溜めに溜めた書類を片付けていく。今自分の前に積まれている書類は彼が溜めた仕事の一部なのだから、手伝っている分くらいは相談に乗ってくれたっていいだろうに。
頬を膨らませ彼の言葉に反論する。
「私こう見えてモテるんだから!太宰くんが知らないだけで!」
「……へえ。例えば?」
包帯に隠されていない瞳に射抜かれて胸がドキリと脈打つ。ときめきではなく、緊張で。
上司とはいえプライベートなことまで話す必要はないだろう。だが鋭い目つきで此方を見てくる彼にしどろもどろになりながらも口を開いた。
「…………取引先の人とか」
苦し紛れに出てきたのは、最近よく顔を合わせている取引先の男性。彼に任されて相手をしているけれど、正直全くタイプではない。が、ポートマフィアとの繋がりを持っていたいのか執拗に食事に誘ってくるのだ。勿論その誘いに乗ったことはないけれど。
此方の答えを聞いて彼は数度瞬きを繰り返し、それから腹を抱えて笑い出した。
「それは違うんじゃないかなァ」
「うるっさいわね!」
煽り散らかす彼の言葉に顔を赤くしながら反論する。だが口の上手い彼に言葉で勝てるとは思っていないので、口を噤んで書類に向き合う。
そんな自分を彼がどんな目で見ていたのか気付く由もなかった。
□
「ふう……。今日も疲れたあ」
ぼやきながら帰宅する。太宰にストーカーのことを相談してから数週間。自宅へ帰れたのも随分と久しぶりのように感じてしまう。任せられた取引先はいつの間にか消えてなくなっているし、暇になったかと思えばそんなことはなく寧ろ忙しくなった。このままでは過労死してしまいそうだ。
さっさと化粧を落としてシャワーを浴びて、ふかふかのベッドに沈んでしまおう。そんなことを考えながらヒールを脱いで中に入って、それを見つけた。リビングの机に置かれたラッピングされた白い箱。こんなもの、仕事に出る前は置いていなかった。玄関だってきちんと施錠されていたし、鍵を持っているのは自分だけ。誰が、どうやって、此の家に侵入したっていうの?
ぞわり、ぞわりと背筋が震えてしまうのをぐっと堪えながら箱を開け絶句する。
箱の中に納められていたのは、いつの間にかいなくなっていた取引先の、男の首だった。
□
散々な目にあった。欠伸を噛み殺しながら自分に振り当てられた執務室へと向かう。
折角久しぶりに帰宅出来たというのに、見知らぬ誰かから贈られた腐った首の処理に手間取ってしまい碌に休むことも出来なかった。栄養剤を駆使して今日も仕事を頑張るしかない、と執務室の重厚な扉を開けたところで目に入った外套に思わず動きを止めた。
「う、わ……吃驚した……!どうしたの、太宰くん。そんなところに突っ立って」
「ちょっと君に聞きたいことが、あってね」
にこりと笑う彼だが此方を見下ろす瞳は仄暗く光を映しておらず、殆ど見たことのない姿に息を飲む。
どうして彼はこんなにも────嬉しそうなのだろうか。
「私からのプレゼントは気に入ってもらえたかな」
その言葉に点と点が繋がって線となる。
カーテンコールは末だ鳴らず。だってまだ、舞台は始まってすらいないのだから。
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