文スト 短編 | ナノ
 太宰/仲直りはキス

恋人と喧嘩した。理由なんて思い出せないくらい、些細なことで。
あ、言い過ぎたと思った時にはもう遅くいつも口達者な彼は黙り込んで私に冷ややかな目を向けていて、ごめんなさいと言う間もなく家を出ていってしまった。

『どうして君なんかと付き合っているんだろうね、私は』

吐き捨てるような、彼の言葉を思い出してつん、と鼻の奥が痛む。二人で暮らす為に引っ越した家は一人ではとても大きく、埋まらない隙間があるようで酷く寂しくなってしまう。どうしようもない空虚を誤魔化す為に寝室へ向かい、敷かれた布団に顔を埋めると肺一杯に彼の匂いを吸い込んだ。

『君なんかと』

先程の言葉が頭の中に響く。いつだって優しい彼が私のことをあんな風に思っているなんて知らなかった。知りたくも、なかった。じわりと滲んでいく涙はその度に柔らかなシーツの中に染み込んでいく。涙と一緒にこの悲しみも出て行けばいいのに、残念なことにそれは叶わない。

すん、と鼻を鳴らしながら起き上がる。いつまでもめそめそしていたってどうにもならないし、まずは彼に帰ってきてもらわないと謝罪することもできない。そう思って不安と恐怖で震える指先でどうにか彼に電話を掛けたけれど、耳に届くのは無機質なコール音だけ。私の大好きな甘いテノールはいつになっても聞こえてきやしない。

これは足で探すしかないだろう。涙でぐちゃぐちゃになっている顔で外出するのは少しばかり勇気がいるし、窓から見える空は墨を垂らしたような色に染まっているのでこんな時間に外出して、とまた彼に怒られてしまうかも。でも、怒られたっていいから傍にいてほしい。
そう思って玄関へ向かい、靴を履こうとしたところでガチャリと扉が開いた。

「……ただいま」
「ぉ、かえり、なさ、ぃ」

まさか彼が帰ってくるのと鉢合せるなんて思っていなかったので、たどたどしい言葉が口から出てしまった。途端に彼が眉間に皺を寄せるものだから、またやらかしてしまった、と指先が冷えていくのがわかった。なにか、なにか言わないと。別れを告げられるよりも早く、ごめんなさいって。

「あの、さっきは」
「ごめん」

まだ口にしていないのに聞こえてきた謝罪の言葉に口を噤む。
「君に酷いことを言ってしまった。君なんか、なんて思ってない。君だから、私は傍にいてほしいと思ってるんだ」
優しい声に、言葉に、じわりと視界が滲んでいく。泣いてはいけない。泣かずに、私もごめんなさいと言わなければ。彼だけが悪い訳じゃないのだから。だというのに口から零れるのは嗚咽だけで、まともに喋れない私を彼がそっと抱き締めてくれた。

「わ、わたしもっ、私も、ごめんなさいっ…!」
「じゃあ、これで仲直りだ」

なんとか謝罪を口にすればこつりと額と額が合わせられる。優しい鳶色の瞳に見つめられ、胸の奥が締め付けられていく。にこりと笑った彼がこれまた優しくキスをしてくれて、そこで漸く安堵することが出来た。
二度と喧嘩なんてするものか。

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