▼ 与謝野/見惚れてる
ぱたぱたと足音を立てて事務室の中を歩く。
今日はいい日だ。朝は寝坊もせずにスッキリと目覚めることが出来たし、おろしたての洋服は可愛いと褒められてしまった。仕事の進捗も順調だし、これは定時で帰れるかもしれない。
浮かれながら机に向かって仕事をこなしていると、傍を通りかかった与謝野女医に声を掛けられた。
「あんた、ちょっとだらしないよ」
「え?」
「服のタグ。つけっぱなしじゃないか」
「え!?」
その言葉に嘘だ、と思うものの「項のところ、タグが出てるよ」と追加で言われてしまえば信じるしかない。慌てて手を伸ばすと指先に固いものが当たった。これがタグだろう。
どうにか切ってしまいたいけど、後ろにある所為でそれは叶わない。更衣室にでも行って脱いで切ってこよう、と鋏を手に取ったところで与謝野女医から待ったがかかった。
「妾が切ってやるから鋏貸しな」
「は、はい」
鋏を手渡すと、ひやりとしたものが項に当たる。それからしょきん、と軽い音がして鉄の冷たさは離れていった。
「あ、ありがとうございました…」
「気を付けなよ」
鋏とタグを渡されて、ほう、と息を吐く。
やっぱり与謝野女医は格好いい。彼女のような女になりたくって色々と努力しているけれどまだ足りないようだ。タグを切り忘れるなんてミス、与謝野女医はしないだろう。
鋏を持ったまま呆けていた私に与謝野女医がくつりと笑う。
「何だい?妾に見惚れたのかい?」
「違います!!」
心の内を見透かされたような言葉に慌てて否定してしまう。
「それは残念。妾はあンたに見惚れてンのに」
「え、」
「今日の服、似合ってるよ」
艶やかなリップが塗られた唇が三日月を描いて、それが近付いてきて。
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