▼ 君愛/可愛いって言ってほしいの
それは、行きつけのbarでのこと。
「可愛いって云われたい……」
カウンターに突っ伏した千尋がそんなことを零すのは、中也は呆れた目で見ながら酒を煽った。
「手前みたいなゴリラには無理だろ」
「殺す」
間髪入れずに返ってきた言葉は物騒であるのに明確な殺意は込められていない。これもいつものやり取りだ。
中也と同じく前線に立って敵を蹴散らす千尋。それは戦闘向きの異能力を所持しているからだけではなく、千尋の自身の腕っぷしも強いからだ。精巧な顔立ちと華奢な体に似合わず、屈強な男の一人や二人簡単に抱えてしまえる千尋のことをゴリラなどと称して何が悪いのか。
ちなみに今の言葉は千尋を可愛がっている尾崎の前でいえば、同じく可愛がられている中也であっても雷が落ちることは必須なので、尾崎の前では死んでも言わない。
「……私だって、」
女の子なのに。
その言葉を最後に、千尋から聞こえてきたのは寝息。どれ程酒を飲んだか記憶していないが、今日はすぐに意識を手放したようだ。此れが泣いたり笑ったりすると非常に面倒なのだ──出入口で立っている男が。
「…だとよ。恋人役ならそれくらい云ってやれよ」
「……別に、役は役だし。そこまでやってやる必要性を感じないね、私は」
憎まれ口を叩きながら近づいてきた太宰は、ごく自然な動作で千尋のことを抱き上げるとそのまま支払いを済ませ店の外へと出ていく。
やる必要性を感じない。そういう割にはこうやって千尋と中也が飲んでいると必ず姿を現すし、酔った千尋が中也に絡んでこようものなら普段からは想像出来ない形相で見てくるというのに、一体どの口が云うのやら。
太宰と千尋が互いに向ける感情を嫌というほど理解している──というより理解させられた中也としてはさっさとくっついて、自分を巻き込まないでほしいという思いでいっぱいだ。
「……あーーーめんどくせーーーー」
唸り声を上げて、グラスの中の酒を空にした。
「……それ、似合ってるんじゃないの」
「……へ、」
珍しく太宰と中也の任務に参加することになった千尋に、太宰がぶっきらぼうに云う。
それ、と指したのは千尋の耳に新しくついているピアス。男物のピアスを好んでつけていた千尋にしては珍しい女性らしいデザインのそれを、太宰が褒めた。
褒められると思っていなかったのだろう、千尋は目を丸くして太宰を凝視している。自分が口にした癖に気まずいのか、太宰がそっと目を逸らす。
「……可愛いと思うよ」
それだけ云って先に進む太宰。その後ろで千尋はぼぼぼ、と判りやすいほどに頬を朱に染めていて。
──此奴等纏めてどっか閉じ込めたら進展しねェかな……。
中也はそんなことをぼんやりと考えていた。
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