朝を笑う。
手を伸ばす。ただただ、それを追い求めて。
もう少しで届くというのにそれは手の内をすり抜けていくものだから、悔しくて悔しくて唇を噛み締めた。
「ん"ん"ん"ん"!!」
ナイトレイブンカレッジ、図書館にて。クリスは本棚の最上段に置かれた本を求めて必死に背伸びをしていた。あともう少しで届きそうだというのに指先は掠りもしない。屈辱的である。
──魔法史で課題が出た。それは担当教師であるトレインから出された題材でレポートを作成しろというごく単純なものであったが、学べば学ぶほどわかる。陸と海では伝わっている歴史が、ほんの少しだけ違うのだ。
その為資料を探しに図書館を訪れたのだが。
「なんであんな高いところにあるんだよ……!!」
小声で憤る。
目当ての本はクリスよりも高い位置──詳しく言えば本棚の最上段に置かれており、踏み台を使って手を伸ばしても到底届きそうにない。
誰か背の高い奴は、と辺りを見渡すも残念なことに誰もいない。
せめて誰かいたらよかったのに。溜息を一つ吐いてクリスは再度本に向かって手を伸ばした。
不安定な踏み台の上で背伸びをする。が、それが悪かったようでクリスはそのままバランスを崩してしまう。
ぐらり、と揺れる体。あ、と思った時には体は宙に浮いていて。少しでも衝撃に耐えようとぎゅ、と固く目を閉じた。
「……?」
──しかしいつになっても衝撃はこない。
どういうことだ、と恐る恐る目を開けるとどうやら誰かに支えられているようである。
「大丈夫か?」
「……!?」
突然上から降り注いできた落ち着いた声に思わず目を張る。
ぱちり、ぱちりと瞬きを繰り返す視界に映るのは見惚れてしまう程美しいみどり。故郷の海で見る、浅瀬の緑よりも深く、美しく。
見惚れて言葉を出せないクリスに何を思ったのか、その人は少々不機嫌そうに目を眇める。床に足をつけても尚何も言えないクリスを一瞥し立ち去ろうとする姿を見て漸く我に返ったクリスは、此処が図書館だということも忘れて声を張り上げた。
「あ、あの!」
「……なんだ?」
不機嫌そうにしながらも足を止め、此方を見る彼は存外優しいのかもしれない。
そんなことを考えながらクリスはなんとか言葉を絞り出した。
「その、ありがとう。入学式の時も助けてくれた、よな?」
ナイトレイブンカレッジに通う人魚は入学するにあたり、式典よりも早く学校へと連れていかれる。そして校内で歩行練習をし式典に挑むのだが、今まで海で生活していた人魚たちがそう簡単に歩けるようになる訳がない。
クリスも例にもれず式典で転んでしまいそうになったのが、それを助けてくれたのが目の前にいる彼────マレウス・ドラコニアである。
鋭い視線を向けてくるマレウスに少々たじろぎながらも、クリスはへらりと笑みを浮かべた。
「俺はクリス、クリストファー・ジーヴル!好きに呼んでくれ」
「お前は僕のことを知らないのか?」
「知ってる、けど……」
能天気に自己紹介を始めてクリスにマレウスが呆れたように言葉を吐いた。
実はつい最近まで知らなかったのだが、目の前にいるマレウスは茨の谷の次期領主───妖精族の王子だという。
「折角だから仲良くなりたいって思ったんだ」
「仲良く……」
クリスは海から陸に上がって。
マレウスは茨の谷からこの学園にやって来ていて。
もしかすると、生を終えるまで出会うことが無かったのかもしれないのだ。折角出会えたのだから仲良くしたいと思うのは当然だろう。
マレウスは何かを考えこむように顎に手を当てる。
そうして一拍、二拍後にマレウスは口を開いた。
「……いいだろう。僕のことも好きに呼ぶといい」
「ありがとう!その……マレウス」
名前を呼ぶのがなんだか気恥ずかしいけれど呼んでみると、マレウスは少しだけ口角を上げた。
────どきり、と胸が高鳴った理由はなんだろう。