夜を見た。


初めて陸に上がって美しいものを見た。
それは幼い頃にこっそり見たことのある「夜」にとても似ていて、見惚れていたから転んでしまいそうになったのは内緒である。倒れそうになった体を受け止めてくれたのは「夜」だった。

「あ、ありがとう!」
「……いや、構わない」

ふい、とすぐに逸らされた視線と離れていった手が名残惜しいと思ってしまった。目の前の「夜」にただただ見惚れていた。
──この気持ちは、なんていうんだろう。


□□□□□□□□□□□□□□□□


魔法士育成学校の名門であるナイトレイヴンカレッジに入学して早一か月。

陸と海の常識の違いに困惑しながらも、クリスは陸での生活を楽しんでいた。漸く足にも慣れてきて自由に歩けるようになり、海では食べたことのないものを楽しむ。陸に上がってよかった、と思う反面海が恋しくなることもあったがクリスが所属するのはオクタヴィネル寮──海の中にある寮である。海が恋しくなったのなら寮の外に出ればすぐに泳ぐことが出来た。
学友たちも個性的な生徒が多いが、持ち前の明るさでなんとか友好的な関係を築けている、のだが。問題が一つ。

「クリスちゃーん!ここはお子ちゃまが勉強するところじゃないでちゅよぉ」
「おいおい、そんなこと言ってやるなって。か弱い「女の子」が頑張ってるんだからさ!」

げらげらと下卑た笑い声と共にかけられる、外見を揶揄うような言葉。これが楽しい学園生活を送っているクリスの目下の悩みである。勿論クリスはこの学園に通う適正年齢であるし、性別だって男た。しかし、クリスの外見が問題だった。

ルリスズメダイという全長6センチほどの小さな魚の人魚であるクリスは元々が小さいというのもあるが、人間の姿をとると更に小さくなってしまう。
その身長、実に150センチ。同級生たちと比べて一際小さく、更にその顔。クリスの一族は最初はみな雌で生まれてくる。そして成長するにつれ、体が群れの中で一番大きくなれば雄になるのだが、その名残がクリスは一際強く顔に出ており──言ってしまえば、クリストファー・ジーヴルいうこの人魚は何処からどう見ても「可愛い女の子」にしか見えないのである。

といっても、

「だーれが女だ!ついてるもんついてるっつーの!テメェらの×××、噛み切って女にしてやろうか!!」

中身はそうとは思えないほど勇ましいのだが。
自分を揶揄ってきた生徒に対し廊下でそう言い放ったクリスはそのまま追いかけようと足を踏み出したが、すぱんと小気味いい音を立てて頭を叩かれたことで足を止める。

「いってぇ!」
「アンタね、何はしたないこと叫んでるのよ!!」
「だってぇ」
「言い訳しない!!」
「へぶっ」

クラスメイトであるヴィル・シェーンハイトに物理的に止められ口を閉ざす。
唇を抓まれ塞がれてしまってはどうしようもない。次の授業もあるのだ、諦めるしかない。

「顔はいいのに中身が全然ダメね、アンタ」

はぁ、と呆れたように溜息をつくヴィルは、陸に上がって初めて出来た友人である。
途轍もなく高い美意識を持つヴィルに毎日のように叱られているがクリスはへこたれない。美容にいいものを食べろ、と言われてもクリスは既に甘味に陥落しているので無意味なのだ。

「ああいう輩は放っておきなさい。反応するだけ喜ぶんだから時間の無駄よ」
「……ちぇっ」
「舌打ちしたのはこの口かしら?」
「痛い痛い痛い!ほっぺ引っ張んなぁ!」

諭すように言われ渋々頷いたけれど、クリスの目はしっかりと自分を揶揄ってきた生徒の姿を捉えている。少し離れた位置でこそこそと言葉を交わしては下卑た笑みを浮かべている生徒たち。
顔は覚えた、覚悟しておけよ。誰に言うでもなくそう決心しながらヴィルと次の授業の為に移動を開始する。

「あ、」
「次は何よ?」
「んーん、なんでもなーい」

遠くに見えた、入学式の時に助けてくれた同級生。暗がりではよく見えなかったけれど、何やら立派なツノが生えている。結局あの時は名前を聞くことが出来なかったけれど、次会ったら友達になりたいだなんて──相手が妖精族の王子様だなんてことも知らずクリスはそんなことを考えていた。尤も、クリスがその事実に気付くのは随分と後のことなのだが。

──これはとある人魚が、とある竜に恋をする物語である。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -