拾参
時間は少し遡り、横浜・PDAビルの一室。明かりなど無い暗い部屋の床に這い蹲り、藍子は怨嗟の声を上げていた。
如何して自分が、何故愛されない。カミサマは愛されるようにしてくれると言ったのに一番愛してほしい人間は自分を愛してくれない。それが藍子にとって何よりも苦痛だった。
「嘘…嘘よ……なんでこんな、わたしが、」
与えられる痛みに顔をぐちゃぐちゃにしながら自問自答を繰り返す。幾度それを繰り返しても湧き上がるのはあの女への恨み。あの女さえ、あの女さえいなければ今頃自分は最愛の人に愛されていたのに。
そう繰り返す藍子を太宰は冷ややかな目で見下ろしていた。
何やらこの女は太宰に愛されると思い込んでいるようだが、その根拠が判らない。
「あなたに愛されるのは私だけなのに!!」
「……君が何を云っているのか判らないけれど、私が愛しているのは千尋ただ一人だよ」
女の絶叫に思わずそう言葉を返してしまう。
この見知らぬ女は何やら太宰のことを知っているが太宰には覚えがない。一体誰と勘違いしていることやら。
そうして愛しているのは千尋一人だけだと太宰が口にすれば、女はまるで般若のような顔で太宰を見上げた。
「嘘よッ!だって私、あなたに愛される為にここまで来たのに……!!」
「ふうん。それなら元いた場所に帰りなよ、誰も気にしないから」
「それ、は……」
口籠る藍子。その、元々いた場所には帰ることが出来ないのだろうか。否、帰ろうが帰らまいがどちらでも構わない。太宰の「最愛」を傷つけて無事に帰す訳がないのだから。
わざとらしく一歩、音を立てながら藍子に近づく。床に這い蹲ったままの藍子が、涙やら何やらでぐちゃぐちゃになった顔で太宰を見上げた。涙で潤む瞳には恐怖が滲んでいる。
これ#が千尋#なら興奮するのになァ、なんて聊か不謹慎なことを考えながらしゃがみ込み藍子の顔を覗き込む。縋るように、助けを求めて伸ばされた手を太宰は何の躊躇いもなく叩き落した。
「まァどちらでも構わないのだけど。だって君は此処で──」
──部屋に響いた、か細い悲鳴を拾った者はいるのだろうか。
「やァ待たせたね!!」
いつもの調子で、皆が集まっている部屋に顔を出す。
千尋がどこぞの誰かに攫われたというのは一部の者に知らされており、助け出すべく話し合いをしていたようだ。彼女のことを任せっきりというのは非常に嫌なので素知らぬ顔をしてそれに参加する。
とりあえず今判っているところまで把握しておこうと近くにいた中也に話しかけた。
「千尋の居場所は判ったかい?」
「ンなもん、手前が「遊んでる」間にとっくに判ってンだよ。ちんたら遊んでンな」
席を外している間太宰が何をしていたのか判っているのだろう、中也が睨みながらそう言う。
太宰がしなければ中也がする勢いだったというのに何を云っているのだろう。
白々しい、と思わず呟けば太宰を視界に入れず中也が頬を叩いた。
「おい、糞鯖。ついてるぞ」
「………ああ、本当だ。これで会いに行くところだった、気を付けないと」
頬に触れると、赤いものが指先に付着した。ああ危ない。