ずっと何かが足りないと思っていた。
嘗ての相棒や同僚を揶揄い、嘗ての友人と再会し再度友情をはぐくみ、それでも尚この世界は色褪せて見えていた。

以前の生には無かったバース性とやらも最初は太宰の興味を引いたが其れも直ぐに消え失せて、今ではαの太宰に寄ってくる人間たちに辟易していた頃に彼女が現れた。

「太宰。ほれ、お前の待ち人じゃ」
「何云ってるの、姐さん。私に待ち人なんて……」

尾崎の嬉しそうな言葉への反論は、その隣に立つ一人の少女を目に入れたことによって途絶えた。
艶やかな黒髪、黒曜石のような瞳、雪のような白い肌を照れ臭そうに朱に染めながら──今の太宰よりも幾分か幼い姿で千尋が立っていた。

嗚呼、どうして忘れていたのだろう。
あんなにも、こんなにも焦がれていたというのに。
足りなかったパズルのピースが漸く揃ったような、そんな気分だ。

「その、久しぶり」

少し照れながら此方に声を掛ける千尋の言葉には何も返さず、腕を掴んで引いて彼女を自分の腕の中へと閉じ込める。

今まで凪いでいた本能が、千尋こそが自分の運命だと叫んでいた。

甘い甘い蜂蜜のようなにおい。
近付いてくる女たちの甘ったるいだけの匂いなんて到底敵わない芳香に、太宰は迷わずその項に噛み付いた。

「なっ、何をしとるんじゃお主はぁっ!」

直後、激怒した尾崎に貼り倒されたが惚けている千尋が自分のものになったと思えば痛みなど感じず、此れからどんな風に彼女を愛でようかなんて考え鹿思い浮かばなかった。




直感的に何か感じるのだろうか。αの太宰に向かってちらちらと向けられる視線にわずらわしさを感じつつ足早に目的地へ向かう。

『おさむくん、たすけて』

ぐすぐすと鼻を鳴らしながら千尋が電話をかけてきた。
太宰に助けを求める声に仕事中だったが凡てを放り投げて東都にやって来たのだ。
国木田が憤死してしまいそうな勢いだったが、尾崎に完結に事情を伝えれば簡単に早退が許された。

あの人も千尋に甘いよねぇ。

自分を慕う妹分に尾崎は滅法弱い。嘗ては首領である森の命を狙ってマフィアビルに侵入した鏡花を追撃しようとした部下たちを叱咤して止めたこともある。それ程に尾崎は懐に入れた者に甘い。
その甘さが千尋にも注がれていることが太宰は腹立たしいのだが。

ポアロと書かれた扉を何の躊躇いなく開けると途端に噎せ返る程の甘い匂いに包まれる。
然し他の客は何も感じていないようで平然とした顔で珈琲を飲んだり談笑したりと穏やかな時間を過ごしているようだ。

つまり、これはΩが番を誘うフェロモンである。

「太宰さん」
「やぁ、こんにちは。千尋は何処かな」
「酷く体調を崩しているようで……奥の部屋で休んでもらってます」
「有難う。通してもらっても?」
「ええ、此方に」

そっと近づいてきた安室が太宰を従業員用の休憩室へと案内してくれる。安室が扉を開ければ一段と濃い匂いが太宰の鼻孔を満たす。
安室が僅かに顔を顰めたのを見ながら太宰は成程、と頷いた。

千尋は大きなバスタオルを頭から被り、震える体を自分で抱き締めながらパイプ椅子に座っていた。

矢張り此れは発情期か。番である太宰にしか感じられない筈のフェロモンを他の人間も感じ取ってしまう程に発情しているらしい。

抑制剤で無理矢理抑え込んでいた副作用か、それとも千尋自身の体質や体調の所為か。
何方かは判らないが、森から紹介された医師に診断してもらっているのにこのような事態に陥るとは思わなかった。後で森に苦情を入れなければ、と考えつつ優しい声で愛しい恋人の名を呼ぶ。

「千尋」
「……おさむ、く」

被っている大きなバスタオルを握りしめながら千尋が太宰の名前を呼ぶ。
タオルの隙間から見えた唇が震え、そしてがたりと音を立てながら立ち上がりふらふらと太宰に近づいてきた。

倒れ込むように太宰に抱き着き、ぐりぐりと頭を擦り付けてくる千尋の体を抱き締める。

「あつ、い…あついよぉ」
「大丈夫。私は此処にいるから、もう大丈夫」

発情期故の体温上昇が辛いのだろう。子供のように泣く千尋を宥め乍ら横目で安室を見る。
千尋に好意を寄せている安室もこの濃いフェロモンの匂いに何かしら思うことがあるのだろう。眉間に皺を寄せて何やら考えている。

「……太宰さんは、千尋さんの番なんですか?」
「そうだよ。千尋は私の奥さん」
「そう、ですか」

諦めたように息を吐く安室に優越感を抱く。
そうだ、どんなに安室が千尋に恋焦がれようとも千尋は太宰のものなのだ。普段は隠れている項にくっきりと残された噛み痕がその証拠で、千尋を縛り付ける首輪なのだ。

「……おさむく、」
「うん?どうしたんだ、い」
「ふぁ、んん」

安室と会話をしていて嫉妬でもしたのだろうか。熱に浮かされた瞳の儘千尋が唇を重ねようと首に腕を巻き付けてきた。
ちゅ、ちゅ、と啄むような口付けを繰り返して嬉しそうに笑う。

──本当に、この子は。

此処が外でなければ押し倒して荒々しく唇を奪い、その躰を思う存分貪ったというのに。内心舌打ちをしながら未だに接吻をしようとしてくる千尋の体を引き剥がす。

「続きは家でしよう」
「ん、やくそく?」
「勿論だとも」
「……送りましょうか?」
「いや、大丈夫さ」

発情して蕩けている千尋を心配してか、安室がそんな申し出をしてくれたが太宰はそれを断る。
見知らぬ他人に蕩けている千尋を見せるのは癪だが、それよりも自分と千尋だけの場所であるあの家に安室が近付くことが嫌だった。





「千尋、ついたよ」
「ん……、」

熱い吐息を零す千尋をベッドの上に降ろす。
汗でぐちゃぐちゃになった服を脱がせてやろうと手をかけると、甘い声が千尋から上がった。

「おさむくん、だいて。だいてよぉ…」

Ωの本能か、甘えるように此方に擦り寄ってくる千尋に太宰はごくりと喉を鳴らした。
此処まで我慢したのだ、もう我慢せずともいいだろう。千尋本人だって太宰に抱かれることを望んでいる。

「いいよ、抱いてあげる」

熱い吐息と共にうっそりと微笑んだ。

愛して愛して、あいして。

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