視界一杯の桜吹雪。ゆっくりと目を開け乍ら声高々に名乗りを上げる。
歌仙兼定は桜の向こう側に美しい少女を見た。
見目の話ではない。とても美しい魂をしていた。気高く、高潔で、仕えるのに相応しい魂である。時代によっては女が主などと思う刀もいるかもしれないが、この美しい魂を持つ少女が己を選んでくれたという事実が歌仙はとても誇らしかった。
薄紅色の着物を纏った少女は突然現れた歌仙に目を瞬かせながらも、僅かに口角を上げそれから口を開いた。
「こんにちは、歌仙兼定。…よろしくね」
「ああ、よろしく頼む」
それが、この本丸の始まりである。
歌仙の主である少女は元いた時代では庇護される年齢であり、また本人もそう望んでいることから通いの審神者であった。毎日学び舎が終わってから本丸へとやって来て、そして夜が更けると帰っていく。
本丸に顕現している刀剣が徐々に増え、大所帯になっていっているとはいえ其処に主の姿がないというのは寂しいものである。
そんな刀剣たちの寂しさを主自身も判っているのか、やって来た時には存分に刀剣たちを構ってくれるのだが。主に甘える刀剣たちを見ていると、歌仙はどうも素直になれなかった。
初期刀としての誇りが邪魔をしているのかもしれない。
審神者が通いの本丸は基本的に端末でのやり取りになる。端末に送られてくる審神者の指示を刀剣たちに伝えるのは歌仙で、顕現してからずっと近侍を外れたこともない。主が不在の間、自分がしっかりと本丸を纏めなければと思えば思う程素直に甘えられなくなっていた。
「主!君は女の子なんだから身嗜みには気を遣うべきだ!」
「……だって」
ぷい、と顔を背ける主。動きやすいからと、本丸ではじゃーじなるものを履いているのだがそれが歌仙には我慢ならなかった。
顕現される際に与えられる現代知識や、偶に目をする現代の読み物を見ると歌仙の主の容姿はかなり整っている部類に入るだろう。
然し当の本人は自分の外見には無頓着でお洒落を好む加州や乱、燭台切や雅さを追求する歌仙からしてみれば宝の持ち腐れにしか見えない。
「だってじゃない!今日という今日は着物を仕立てよう!!」
でも、だなんて云って抵抗しようとする主の手を掴み万事屋へと繰り出す。歌仙の懐には主の為にと貯めた給金がある。此れで雅に仕立ててみせよう、と歌仙はにこりと笑った。
桜の花弁が幾枚か散ったのは主である少女しか見ていない。
冬の寒さも厳しくなってきた。現世と季節や天候を合わせているこの本丸では、そうした季節の移ろいも目にすることが出来る。ただの刀であった頃ではそうじっくりと見られるものではなかったので目に映るもの凡てが新鮮だ。寒くないように、と主の為に淹れた茶を執務室に持って行くと何やら話をしていた。
聞き耳を立てる心算ではなかったが、僅かに聞こえてきた「泊まる」という言葉に心が躍った。主が夜もいるなどそう滅多にあることではない。逸る心を抑えつけ、平然とした顔で中に入れば「今日は泊まるね」と早速切り出された。
「おや、珍しいね」
「うん、偶には」
「いいねぇ、みな喜ぶよ」
毎日毎日、主がやってくる度にお祭り騒ぎになってしまうような本丸なのだ。主が泊まるとなればそれこそ飲めや食えやの大騒ぎだ。
はしゃぐ刀剣たちを諫めるのは歌仙や落ち着いた者たちの役目ではあるが、きっと自分たちも嬉しさに頬を緩めてしまうことだろう。平然を装いつついい温度になった湯呑を渡すと、主は不思議そうな顔で首を傾げた。
「歌仙は喜んでくれないの?」
「……僕だって嬉しいさ」
照れ隠しから顔を横に背けたというのにひらりひらりと咲いては消える桜の花弁を無性に消してしまいたかった。
「偶にはこうしてのんびりと過ごすものいいねぇ。……ああ、雅だ…」
美しい青を見せる空に感嘆の声を上げる。庭を駆け回り遊んでいる短刀たちを見ながら茶を飲む。穏やかな時間に知らず肩の力が抜ける。
聞こえてくる小さな笑い声、風が吹き抜ける音、誰かの話し声。
普段苛烈な戦場に身を置いているとは思えない穏やかさに歌仙は目を細めた。
「戦いばかりじゃ心が荒む。息抜きも必要だよ」
まるで「苛烈な戦場」を知っているかのように口にする主に歌仙は首を傾げ、抱いた疑問をそのまま口にした。
「君は時折そんなことを云うね。平和な時代の出身だろう?」
「歌仙」
「……すまない。不躾なことを聞いた、許してくれ」
「ううん、いいの」
主にしては珍しい、鋭い声で名を呼ばれ口を噤む。気を悪くしたのではと不安に思ったが主はいつもと変わらない表情で湯呑を見つめている。
が、その瞳が何かを思い出すかのように遠くを見つめていることは判った。
「ただ、其れは私にとって大切なものだから。そっとしておいて」
「勿論だとも」
まるで内緒話のような声色に、自然と歌仙も声を潜めてしまうことになる。
戦を知らない時代で生まれ育っている筈の少女が、まるで戦を知っているかのように振る舞う。穏やかに生きてきたと聞いているが、隠したいことの一つや二つあるだろう。
触れてほしくないのだと云うのなら、歌仙は主の意にそうだけだ。
手製の和菓子を勧めながら茶を飲み、穏やかな雰囲気が流れていたのだが現世と本丸を繋ぐゲートの方が何やら騒がしい。喧嘩か何かかと思ったが、どちらかといえば──侵入者を追っているような。
微かに聞こえる怒声の中に、主の補助を務める役人の声の泣きそうな声が混ざっていることに気が付いた。騒がしさは徐々に此方に近づいてきている。
主も気付いているのか瞳を瞬かしており、そんな主をいつでも守れるようにと歌仙は柄に手を掛けつつ其方を見やる。
廊下の角から現れたのは蓬頭の青年だった。
荒い息を零している青年は、歌仙を見て眦を上げたと思えば後ろにいる主を見て眦を下げた。
「もう無理。我慢できない」
「……どうしたの?」
ぽつりと呟いた青年の言葉に主が反応する。何の躊躇いもなく歌仙の後ろから出てきて青年に近づいている様子を見るに知己なのだろうか。然し警戒を解くことは出来ない。
青年の動向を本丸のあちこちで見ている刀剣たちなど気にしていないのか、青年はそのまま主に抱き着いた。その一瞬で主ガチ勢と呼ばれている面々から殺気が溢れ出た。
「君不足で死んでしまいそうだ!!」
ぎゅうぎゅうと主を抱き締めながらそう叫んだ青年。主はぱちり、と瞳を瞬かせそれから頬を緩ませた。嫌がっている様子はないし、それどころか桜色に染まった頬を見るに。もしや、と思いつつ歌仙は口を開いた。
「あ、主……。その御仁は?」
「えっと、」
口籠る主。其れは云いにくい、というよりは恥ずかしいという感情が表に出ており。桜色がじわりじわりと紅色に染まっていく。
「私の、大切なひと」
「……こんにちは」
しん、と静まり返った場に主の声はよく通った。少し仏教面ながらも挨拶をした青年は見せつけるように主の頭に頬を擦り寄る。何と云うべきか歌仙は少しばかり考えて、それから口に出した。
「……絶対に認めない!!」
娘を持つ父のような気分である。