ほしいほしい、彼女がほしい。
たとえきらわれたとしても、あいしてほしい。

「千尋さん。大丈夫ですよ、僕が助けてあげますから」

にこりと笑う彼はいつもと同じ筈なのに、如何してだろうか。如何してこんなにも、夜の匂いがするのだろう。






最近酷いストーカーに悩まされていた。
盗撮した写真を送り付けるのは当然で、千尋への愛を綴った手紙を幾度も送り付けてくる。何か届いたと思えば赤に染まった爪だったこともある。

外見の所為で寄ってくる人間からストーカーされるのは日常茶飯事ではあるがここまで重いのは久しぶりだ。前世は目の前で愛を吐きながら喉元を掻っ切って死んだ奴もいたなぁ、とのんびり考えながら目の前に置かれたカップを手に取る。

「千尋さん、大丈夫ですか?」
「え?」
「顔色が随分と悪いみたいですけど……」

心配そうな安室にああ、と頷く。気にしていないのだが矢張り四六時中見られているというのは精神的にくるものがあるらしい。
毎日見慣れている顔の変化は千尋には判らなかったが、鋭い観察眼を持つ安室にはあっさりと知られてしまったようだ。

「ストーカー、されてるみたいで」
「え!?大丈夫なんですか!?」
「平気です」

ストーカーという単語に話しかけてきた安室ではなく、キッチンで作業していた梓が反応する。同性同士、梓とも仲が良いので心配させてしまったらしい。
何でもないことのように平気だと口にするが、強がりだと思われたようで梓の顔は険しい。

「実害は出てないので。大丈夫です」

これくらいのストーカー、なんともない。前世でストーカーしてきていた輩の方がもっと深刻である。
千尋の言葉を黙って聞いていた安室がこれまた深刻そうな顔で口を開いた。

「千尋さん。僕、そろそろ上がりなので送って行きますよ。待っててください」
「え、でも」
「心配しないでください!こう見えて僕強いですから!」

自信満々に安室が云う。それは十分知っているが安室に家を知られるのは拙い気がする。主に太宰に気付かれてしまったら、と考えると背筋が震えた。

千尋が東都にいるのが気に入らない太宰は、東都の家を「千尋と二人になれる場所」と考えるようにしたようで其処に他者──特に異性が立ち入ったことを知ると大変不機嫌になるのだ。地の底まで落ちてしまった機嫌を直すのは中々に骨が折れる。

ということで辞退していたのに結局安室に送られることになってしまった。こういう時、自身の口下手っぷりが酷く恨めしい。
安室の愛車に乗り込んで、窓の外を眺めていると安室が嬉しそうに口を開いた。

「千尋さんとこうして乗れるなんて夢のようです」
「…………」

その言葉に何と答えればいいか判らず千尋は口を噤む。
そう云う割には助手席に座った瞬間、複数の女物の香水が鼻腔を擽った。案外遊んでいるのだろうか。安室が誰と付き合っていようが千尋には関係ないのだが。

自宅から少し離れた場所で降ろしてほしいと頼むが車は止まらない。それどころか、自宅のあるマンションを通り越して別の場所へ向かおうとしている。

「安室さん……?」
「千尋さん。僕は、……俺はどうしても君がほしい」
「、」

青い瞳を揺らしながらも真っすぐに千尋を見て安室が云う。そんなことを云われても千尋に安室を受け入れることは出来ない。
千尋が愛しているのは太宰で、それは絶対に覆らないのだから。千尋の沈黙に何を思ったのか、安室は「そうか」とだけ頷いて車を進めていく。

見知らぬ場所で車が停まり、どうにか逃げなければと急いで降りようとした千尋の腕を安室が掴んだ。

「心はどうにでもなる。──だから最初は体からだ」

嬉しそうに笑いながら悲しい声を出す安室に千尋は何も云えなかった。






──その男を見つけたのは「降谷零」の時だった。公安に所属し、何処か他人に依存しやすい男。キラキラと輝いている目はいつだって降谷を見ていた。

男にいい感情は抱いておらず、排除したいが利用価値があるのではと思い傍に置いていたが──まさかあの男が千尋に惚れるとは思わなかった。舌打ちを零したい気持ちをぐっと堪え、ベッドに横たわる千尋に触れる。

いつだって降谷を見ていた男が、千尋の傍に行く降谷を見ていない訳がないのだ。だからあの男が千尋に惚れてしまったのは降谷の落ち度ともいえる。

「……千尋さん。あの男の愛は重苦しかったでしょう?」

如何にか千尋とお近づきになりたいです、と降谷に零した男を見て──チャンスだと思ってしまった。
降谷は男に告げた。彼女もお前のことを云っていたぞ、と。本当は千尋の視界にすら入っていないのに。

降谷の言葉に喜び勇んだ男は千尋に愛の言葉を綴った手紙を幾度も幾度も送り付けた。

愛してる愛してる、貴女だけを見ています。
貴女もきっと俺のことを愛してくれているでしょう?

そんな風に勘違いした男の行動はエスカレートしていく。愛の印だと称して生爪を剥いで彼女に送ったのだ、と血の滲む包帯を嬉しそうに撫でる男の姿には正直吐き気を覚えたがぐっと堪えた。

男が千尋を追い詰めて、千尋が自分に頼るように誘導する。
そうすれば降谷は何の躊躇いもなく男を捕まえることが出来るし、千尋は遠く離れた場所にいる男より降谷の方が頼れると確信してくれる筈だ。

「千尋、さん」

白く、僅かに色づいた頬を撫でる。彼女の動きを封じるのに少し強めの薬を使ってしまった所為かぴくりとも起きない。

千尋は降谷の予想以上に強かった。

顔色が悪いですね、なんて云ったが実のところそうではない。少し寝不足では、と思う程の隈しか出来ていなかったし、千尋の場合眠れないというより寝なかったという言葉の方が正しいだろう。

ぽろりと口から零れたストーカーという単語に梓が反応し、安室に同調してくれたので此処まで連れてくることが出来た。

降谷が持つセーフハウスの中で一番のセキュリティを誇る此処なら千尋が誰かに害されることなど有り得ないし、此処に来るのに足はついていないので彼女の身内に知られることもない。

嗚呼、それとも先手を打って彼女は自分が保護しているとでも伝えておこうか。大嫌いなあの男の悔しがる顔を想像してしまい笑みが零れてしまう。
ふるり、と閉じられた目の睫毛が揺れた。

「千尋さん。ずぅっと此処にいてください、僕が貴女を守るから」

黒曜石のような瞳に映る、歪な笑みの自分を降谷は見た。






千尋と連絡が繋がらない。

うんともすんともいわない携帯端末を太宰は睨み付ける。連絡が取れなくなって二日が経った。忙しいのかとも思ったが、千尋が一言も云わず連絡を絶やすなんて考えられない。

何があったのか。脳裏に浮かんだ金髪に苛立ちが募る。そろそろ森や尾崎にも伝えなければいけないかな、と考えていると頬を引き攣らせた敦が近付いてきた。

「……何かあったんですか?その、凄い顔されてますけど……」
「……ああ、敦くん。少し千尋と連絡が取れなくてね」

般若のような形相で携帯を睨み付ける太宰に敦が恐る恐る聞いてきたので、少し声を大きくして伝えれば離れた場所にいる中也と芥川が僅かに──芥川に至っては隠すことなく太宰を見た。

自分以外が千尋を気に掛けることに若干の苛立ちを感じるが、それを云っている場合ではない。

「敦くん、ちょっとさ。千尋を探すのを手伝ってほしいのだけどいいよね?」

太宰自身は上手く笑った心算ではあるが、敦の頬が変わらず引き攣っていたので笑えていなかったのだろう。
──あの子がいなければ上手に笑うことも出来ない。早く、早く見つけなければ。






千尋が降谷のセーフハウスにやって来て三日が経った。
取り上げた携帯はとうに電源を切っているのでGPS等で居場所を知られることはないだろう。

「……あの、安室さん。私、学校に」
「行かなくても大丈夫ですよ。暫く休学すると伝えているので」
「な、んで、そんなこと……」
「貴女を守る為なんです、判ってください」

はっきりと言い切れば千尋は口を噤む。学校や友人間には「ストーカーから守る為に別の場所にいる」と伝えている。梓の目の前でストーカーの話をしていたのでその辺りの証言は梓がしてくれる。

後は件の男を始末して、それから彼女の代わりの死体を用意して──あの男が其れで信じるだろうか。千尋が怯えないように、と笑顔を浮かべた裏で計画の算段をつけていたが頭をよぎるのは蓬髪。

千尋に対して並々ならぬ執着心を向ける男が、死体が一つ見つかったからといって容易に信じるなんて有り得ない。

もっと地盤を固めるべきかと降谷は立ち上がった。

「少し出てきます。ポアロのシフトもあるので夜まで帰って来れませんが……いい子にしていてくださいね」
「…………」

降谷の言葉に千尋は何も言わない。それに一抹の寂しさを抱くが急なことに彼女も困惑しているのだろう。

時間が経てばきっと此方にも──あの、美しくも儚い笑みを見せてくれる筈だ。
千尋の足首につけた銀色の足枷をそっと撫でて降谷は部屋を出た。




安室の考えていることが判らないと誰もいなくなった部屋で嘆息する。以前から己に好意を向けてくれているのは知っていたが真逆こんな行為に出るとは。再度嘆息しながらベッドに沈む。

千尋の為に用意した本が幾冊かあるだけの寂しい部屋。携帯は奪われてしまったし、着ていた制服や持っていた鞄も凡て取り上げられている。
連絡が取れない、という異変に太宰は気付いてくれているだろうか。否、きっと気付いている筈だ。千尋に出来るのは助けを待って諦めないこと。

「……もし、」

若しも、安室が自分を抱こうとしたら。その時は迷わず舌を噛み切ろうと、そう決めた。






「いらっしゃいませ!」
「やァ、こんにちは」
「……こんにちは」

ポアロにて。
来店を知らせるベルが鳴り、其方に笑顔を向けて──降谷は固まった。其処に立っていたのは蓬髪の男と赤銅色の髪をした男。

そろそろ来るのではと予想していたが本当に来るとは。蓬髪の男──太宰はいつものように考えを読ませない笑顔を浮かべており、赤銅色の髪の男──確か中原中也、と調べがついている男は鋭い目つきで降谷を睨んでいる。

恐らく二人は降谷が原因で千尋と連絡が取れなくなったと確信してポアロに来たのだろう。

降谷は何でもない顔をしながら二人を席へと案内する。梓は休憩中、客は二人だけ。込み入った話をするにはうってつけだ。

「実は千尋と連絡が取れなくてね、──知っているだろう?」
「さぁ…何のことだか」

予想通りの言葉を太宰が吐いた。それを笑って誤魔化すと中原が腰を浮かせかけたが、太宰がそれを手で制止する。怒り狂っているのは太宰も同じだろうに冷静を装うのは得意らしい。

「しらばっくれンのか手前」
「君がそんなに千尋が好きだなんてねぇ…驚きだよ」
「えぇ、好きですよ。愛してます。──だから僕にくれませんか」

いい機会だ、と心情を吐露する。

千尋が太宰のことを愛しているのを知っている。太宰が千尋のことを──それこそ何を犠牲にしても傍に置きたいことを理解している。千尋自身から降谷の思いには答えられないと伝えられてもいる──けれど、それで諦められるような恋ではないのだ。

幼馴染の命の恩人であった少女にこんなにも恋をするとは思わなかった。思わなかったがとても幸せだった。

日本という国の為に己の凡てをかけてきたけれど、それすらもどうでもいいと思ってしまう程に彼女に恋をしている。歪んでいると言われてもおかしくないこの感情を、きっと太宰は理解してくれることだろう。だって彼も同じなのだから。

「はァ!?手前、ふざけてんじゃねェぞ!!」
「中也、落ち着きなよ」
「落ち着いてられっか!!」

とうとう我慢できなくなったのか、中原が立ち上がり降谷の胸倉を掴む。太宰の制止を聞いても尚止まらない中原も、太宰や降谷とは違うベクトルで千尋のことを大切に思っているのだと容易に判る。

然し、それならば理解してほしい。人を愛するということは容易にはやめられないのだ。

「僕は純粋に彼女のことを愛してるんです。貴方たちとは違う」

青い海のような瞳に射貫かれながら降谷は違うと言いきった。

二人のような底知れぬ沼のような感情とは違うのだ。降谷は千尋のことを清らかな気持ちで想っている。傍にいられるだけでいい、抱こうだなんて思っていない。
太宰が抱く邪な感情とこの尊い感情を一緒にされたくなど無かった。

「違うだろうねぇ、だって私たちは、私はあの子に愛されてるもの」
「……………」

にこやかな笑みで言い切った太宰に降谷は笑顔を固まらせる。見ないように、知らないふりをしていた事実を突きつけられてしまった。

そうだろう。降谷のセーフハウスに閉じ込めても千尋はずっと太宰を想っている。決して降谷を見ないようにしている彼女の心には太宰しかいないのだろう。
然し、それも時間の問題だ。降谷しか見えない場所にいれば千尋もきっと降谷を見てくれる。降谷だけを見て、降谷だけを愛してくれる筈だ。

あのセーフハウスは公安の一部の人間しか把握していない。勝手に忍び込めるセキュリティではないし、何より足はつかないようにして連れ込んでいる。太宰たちが何を考えていても無駄なのだ。決して千尋は見つけられない。

勝利を確信して笑みを深くした降谷に太宰は平然とした顔で口を開いた。

「それにね、君があの子のことどれだけ隠そうとしても無駄だよ。もう見つけちゃった」

嘘だ。




がちゃりと扉が開く音で顔を上げる。安室が帰ってきたのだろうか、それにしては時間が早い。

どたどたと走り回る足音に首を傾げた。若しや安室ではない誰かなのだろうか。千尋を閉じ込めているこの部屋の扉を開けて助けを呼ぶべきか。それとも。

警戒心からか動きを止めた千尋の目の前で勢いよく扉が開けられた──というより破壊された。ぱちり、と目を瞬かせていると白と黒が喧嘩しているのが目に入り、変わらない二人の罵声の応酬に思わず笑みを零す。

「千尋さん!大丈夫ですか!?」
「……人虎くん」

その笑みで気付いたのか、心配を露わにした人虎こと敦が千尋に駆け寄ってきた。その際に虎化していた腕を元に戻していたので、扉を破壊したのは敦だろう。

千尋の足元に視線を落とし、足枷を見た敦は悲し気に顔を歪めてそれを破壊した。何か思い出すことでもあったのだろうか、唇を噛み締めている。

何だか泣くのを我慢している幼子のように見えて手を伸ばそうとしたところで、しゃがんでいる敦を黒──芥川が蹴り飛ばした。

「何するんだよ!!」
「僕が来たからにはもう安心です。貴女には傷一つつけさせぬ」
「……有難う、芥川」

途端に喧嘩を始めた二人を見んてまた笑みが零れた。
いつもならば喧嘩をするなと叱咤するところだが、今はこうして眺めている方が「いつもの日常」に戻った気がして落ち着ける。

守られるだけの女にはなりたくないが、こうして守られるのも安心していいなと未だ喧嘩を続ける二人を止めるべく口を開いた。






耳に痛い程の沈黙がポアロを支配している。
太宰の言葉に嘘だ、と思ったがこっそり仕込んでいた盗聴器から聞こえるのは千尋の声と見知らぬ声が二つ。見つかってしまったことも驚きだが、容易く侵入されてしまった事実に驚きが隠せない。

思わず口を噤んでしまった降谷を太宰が笑みを零しながら見てくるが、その瞳は底冷えしてしまう程に冷たい。「ああ、」と誰かに返事を返した中原が降谷の胸倉から手を離す。然し鋭い目つきで降谷のことを睨むのは止めない。

「手前がこれ以上彼奴に手出すッてンなら加減はしねェ、潰す」

低い声で呟かれた言葉。きっと中原はなんの躊躇いもなく降谷のことを潰すだろう。例えそこに権力が絡んでいたとしても。仄暗い瞳に背筋が震えた。

「……いいじゃないですか。僕にはもう彼女しかいないんです、彼女しか」

絞り出すように言葉にする。
太宰にはこうして怒ってくる友人がいる。千尋を助けに来たのも彼の友人だろう。然し降谷には幼馴染しかいない。嘗て共に夢を語らった友人たちは軒並み逝ってしまった。

彼女だけ。彼女だけしか望まないから、彼女だけでも欲しい。

そんな降谷の、心の奥底からの願いを太宰は何の躊躇いもなく切り捨てた。

「奇遇だね、私にもあの子しかいないよ」

あの子がほしい、あの子はやらん。

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