天使
幼馴染を救ってくれた少女を何かに例えるならば天使だろうか。
「えっと、」
見知らぬ人間に手を握られたまま告白され千尋は困惑していた。
告白されるということ自体は幾度となく経験してきたことだが、公衆の面前で告白されるというのはあまり無い。
余程自分に自信があるのかと思ったが、様子を見る限りつい云ってしまったというのが正しいだろう。此方をじっと見つめてくる瞳には、焦りと迷いが浮かんでいる。
千尋の答えとしては断り一択なのだが店内の人間の視線を集めている今、其れを口にするのは憚られる。
雰囲気が悪くなったとしても千尋は来店しなければいい話だが、此処で働いている彼はそうはいかないだろう。
角の立たない断り文句はないかと考えているとよく知った声が聞こえてきた。
「何してンだ、手前は」
「中也」
家族同然の昔馴染みの声にほっと胸を撫で下ろす。握られたままの手を見て細められた目に気付いたのか漸く手が離れていった。
良かったと人知れず安堵していると昔馴染み──中也が深い溜息をつくのが聞こえてくる。これは後で説教でもされるだろう。千尋に非はないので誠に遺憾である。
「お兄さん、千尋お姉さんの知り合いなの?」
「家族みたいなものだよ」
「ふぅん…」
中也に警戒の目を向けているコナンが意味深に呟く。
千尋の言葉に納得していないようだが何かあったのだろうか。中也も同じ感情を抱いたようでコナンを訝しげに見ている。
あの、と声を掛けられて中也に向けていた意識を前に戻す。
告白してきた彼が少し困ったように笑っていた。
「すみません、性急すぎでしたね。僕は安室透といいます、返事は今度で構いませんのでまた来てくださいね」
「はぁ…」
彼──安室の言葉に気の抜けた返事をするしかない。ごゆっくり、と告げて立ち去っていく彼を見送っていると顔を赤くした蘭が興奮したように口を開いた。
「千尋ちゃん、モテモテだね!」
「そ、そうかな」
「そうだよ!」
正直告白されたことよりも蘭に名前呼びされたことの方が嬉しい。ほんのり頬を赤らめた千尋に、次は中也が声をかけた。
「行くぞ、姐さんが待ってる」
「あ、うん。……またね、蘭ちゃん」
「!またね!!」
突然の名前呼びだったが蘭が其れに追及してくることもなく。寧ろ蘭も頬を赤らめている。
拒否されなかったことに安堵していると、中也が自然な動作で机の上にあった伝票を手に取った。そのまま会計をしようとする中也を蘭が慌てて止める。
「あの、それ!」
「此奴が世話になった礼だ、払わせてくれよ」
「でも……」
「遠慮すンなって、なァ?」
「は、はい……」
有難うございます、と云う蘭が少しばかり困った顔をしているのを見て申し訳なく思うが中也も割と言い出したら聞かない質なので諦めてほしいと思う。
よし、と何処か満足気な中也が安室に会計をしてもらっているのをぼんやりと眺めていると、安室と目が合った。
にこりと微笑まれてもどんな反応をすべきか判らず、つい目を逸らしてしまう。
本当に、何処で見たのだろうか。
記憶力は割とある方だと思っていたが自信が無くなってきた。
有難うございます、またのご来店を。
安室が云っているのを聞きつつ中也と共に店を出る。近くに車が停めてあるのが見えた。
「で?手前、次はどんな面倒事を拾ったンだ?」
「拾ってないよ……」
素直に告白されたことを告げれば、中也は眉間に皺を寄せた。
「絶対に糞鯖野郎に云うンじゃねェぞ。とばっちりをくらう」
「云わないよ。云ったら私も最後だよ」
中也の言葉に思い出すのは嫉妬深い恋人の姿だ。
中学時代、告白されたと告げた時の荒れ様を同時に思い出して背筋が凍る。今回の件を知られれば冗談ではなく、本気で監禁されるだろう。
取り敢えず早急に解決させようと決めて中也の車に乗り込んだ。