夢想


彼女には人には言えない秘密がある。それは前世の記憶というものを持っていること。普通の人では有り得ない能力を持っていることだ。

前世で彼女はマフィアと呼ばれるものに所属していた。
貧民街で生まれ、死にそうになっていた彼女を拾ってくれた女がマフィアだった。光の下で生きてくれという女の言うことに逆らうのは心が痛んだけれど、それでも恩返しがしたかった。

前世でも今世でも彼女はそれを後悔していない。
最期は呆気なく死んでしまったけど、少しでも恩が返せていればそれでいいのだ。

───前世に未練はない、といえば嘘になる。彼女には一つだけ未練があった。


『迎えに行く。だからそれまで待っていてくれ給え』


とある男との口約束。マフィアを抜けるという男と最後に交わした言葉。無論彼女も純粋ではないし、男との約束が確かなものではないことも理解していた。だが男との約束は、彼女にとって『光』であったのだ。

恩返しの為に裏社会で生きていくことを決めたのは自分だ。マフィアを抜けることなど考えたこともないが、それでも自分を連れ出そうと思う程自分に情を抱いてくれたというのが嬉しかった。


「───……退屈」


読んでいた文庫本から目を離して前を見る。乗っている電車の窓から差し込む夕日で車内は赤く染まっていた。

生まれ変わって、平和な世界で暮らして。普通に学校に通って、普通に友達を作って。憧れていなかったと言えば嘘になるが、実際にやってみればとてもとても退屈だ。
誰も自分のことを知らない。誰も自分のことを理解してくれない。軽口を叩いていた家族同然の同僚も、命の恩人も忠誠を誓っていた上司もいない。

きっとこれからも無意味に命を消費していくのだろう。なんだか味気なくて、持っていた文庫本を握りしめた。

明日もまた変わらない日々が続く。
電車が降りる駅に到着した。まばらな人が降りるのを見送って、それに続いてホームに降りて───息を飲んだ。

砂色のコート。服の間から覗く包帯たち。自分が知っている姿よりも幾分か成長した、けれども面影のある姿。思わず立ち止まった彼女を邪魔そうに人が避けて、我に返った。

「迎えに来たよ。却説、次こそは手を取ってくれるかい?」

にっこりと胡散臭い笑顔を浮かべながら此方に手を伸ばしてくる声は遠い昔に薄れてしまったもので。ぽろりと涙が一粒目から零れ落ちた。それを優しく拭われる。

「待ってた、」

私を理解してくれる人を。私に夢をくれた貴方を。
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