致死
例え致死の傷でも、貴方が与えてくれるモノならなんだって。
「大丈夫ですよ、安心してください。僕がどうにかしますから」
千尋を安心させるかのように笑った安室にそっと手を握られる。ありがとうございますと感謝の言葉を述べたが、それに感情は籠っておらずひどく空虚な響きだった。
例えば安室が何かしらの手段を用いてPDA、更に云えば養母である尾崎に接触し事の次第を告げるとしよう。
きっと尾崎は「楽しんでおいで」と云われたとしても、太宰に「いいよ」と云われなければ到底楽しめそうにない。
ポアロを出て帰路につく。
帰り際に再度安室が「心配せずに僕に任せてください」と云ってきたけれど、曖昧な返事をすることしか出来なかった。
「はぁ…」
諦めるべきだろうか。千尋にとっての一番は太宰で其れが覆されることはない。しかし初めてと云っても過言ではない友人の誘いに心が惹かれているのも事実だ。
何が最良なのか、判らない。
ぼんやりと考えながら歩く。無理を通して太宰を悲しませるのは厭だ。全てを諦めたような、あの仄暗い目は見たくない。
──折角だけど、諦めよう。
そう決めた時だった。突然肩が叩かれた。考え事に耽っていたので近づいてくる気配に全く気づかなかった。
警戒しつつ後ろを振り向けば、眼鏡の青年が白いハンカチを持って立っていた。
「落としましたよ」
「え、あ、ありがとうございます…」
突然肩を叩かれたのは驚いたが、落とし物を拾ってくれたらしい。青年が持っているハンカチは確かに千尋のものだ。
ハンカチを受け取り、一言礼を云って立ち去ろうとしたが待ってくださいと引き止められてしまった。
こういう時無視して立ち去ってもいいと思うのだが、つい動きを止めてしまう己の性分に溜息をつきたくなる。
「何か」
「少し顔色が悪いみたいですが大丈夫ですか?」
「、平気です。では」
善意から気にかけてくれているのは判るがこれ以上関わるのは億劫だ。
会話を切り上げ何を云われても立ち去るつもりで足を踏み出した、のだが。
「っ」
反対側から走ってきた誰かにぶつかった。そしてそのままバランスを崩し転倒する。咄嗟に受け身を取ったので大した怪我はしていないが、公衆の面前で転んでしまったという事実が恥ずかしい。
今日はついていない。普段ならばこんなことで転んだりしないのに。
舌打ちを零したい気持ちを堪えつつ立ち上がろうとした時、目の前に手が差し出された。
「大丈夫ですか?」
「…大丈夫です」
差し出された手を取らず立ち上がろうとしたが足が動かない。具体的に云えば右脚が。
壊してしまっただろうか。PDA──梶井基次郎特製の義足は耐久度が高く、壊れたことなど殆どないのだが。転んでしまった時に衝撃でも加わったのだろうか。
そんなことを考えていても仕方ない。どうにか帰らなければ。
「足でも痛めたんですか?」
「っ触らないで…!」
「この足は……」
青年の驚いた声が聞こえる。怪我があるかどうか確認する為とはいえ無遠慮に触られたことに嫌悪感を抱いてしまう。
せめてもの抵抗として身を捩るが青年は興味深そうに義足を見ている。
「とても精巧ですね…触れるまで義足だと思いませんでした」
「……」
「これは何処のメーカーのものなんですか?」
「……離してください」
「ああ、すみません。不躾でしたね」
漸く手が離れていったことに安堵するが青年がこの場から離れる気配はない。
何だか見物されているような気がして気分が悪い。
「動けないのでしょう、ご家族の方に連絡を…」
「家族は、東都にはいません」
「一人暮らしですか?」
「……まぁ、はい」
立ち上がる。その間にも幾つか青年が質問を投げかけてきたので、それらに適当に答えつつ周囲を見渡す。
自宅のマンションまでは少し距離がある。勿体無いけれどタクシーでも呼ぼうか、などと考えていると、
「千尋」
「……治くん、」
ニコニコとわざとらしく笑っている太宰といつも以上にしかめっ面をしている中也が立っていた。
あの電話からそう時間は経っていないが急いで着てくれたのだろうか。それとも中也がいるので仕事だろうか。
どちらにしても太宰と会えたということは嬉しいことだ。先程まで沈んでいた気分が浮上する。
「手前、何転けてンだ。餓鬼かよ」
「義足が、」
「梶井に見せるか。家にもあるンだろ?」
「うん」
中也と会話をしながら太宰に腕を引かれてその胸へと飛び込む。そのまま横抱きにされ、少しばかり羞恥を感じるが太宰の匂いが鼻孔を擽り、ほっとする。
蚊帳の外となっている青年ににっこりと太宰が笑いかけた。
「彼女が世話になったね」
「…いえ、何もしていないですよ」
ばちり、と二人の間で火花が散ったような気がした。