闇夜


赤井秀一にとって「一野辺千尋」という少女は不思議な存在である。
件の芥川青年のことを問うた時のこともそうだが、既視感があるとずっと思っていたのだ。それを漸く思い出した。

彼女は赤井がライとして「組織の裏切り者」であるスコッチのことを追っていた時に出会っている。

美しい月が出ている晩だった。街灯がなくとも十分明るい夜、赤井はスコッチを追っていた。

組織から命令があったというのも理由だが、同じ組織に噛みつく犬として彼のことを保護したかったのだ。

無論赤井がFBI捜査官などと知らないスコッチは、追い付かれないようにとあの手この手を使って逃げて行ったがそれにも限度がある。

万策尽きたと思われるスコッチが廃ビルに駆け込もうとしていた時、ビルとビルの隙間から現れた彼女がスコッチの腕を掴んだ。

『お兄さん、こっち』
『え、あ、ちょ、!』

追手から逃げているという極限状態にあるスコッチだったが、突然現れた少女の突拍子のない行動など完全に予想外だったのだろう。

いとも簡単に彼女に腕を引かれて足を進めるスコッチは、離れていても判る程に困惑していた。

突然の乱入者に組織の追手かと思ったが少女のことを赤井は知らなかった。接点のない下っ端かもしれない、という可能性はあったが彼女程整った容姿ならば下っ端だとしても組織内で噂になるだろう。しかし赤井はそんな噂耳にしたこともない。

取り敢えずスコッチは自分以外の組織の人間にも追われている。彼女を早々に引き離した方が得策だろう、と思考を纏めて声を掛けようとした時だった。

『   』

彼女の口が何かを発した。近くにいるスコッチには聞こえていないようで彼は何とか少女の手を離そうと苦心している様子だ。

仲間でも呼んだのか?訝しげに周囲を伺った時だった。

何か、いる。

それが「何なのか」、赤井には未だに理解できていない。
ただ、ビルの影に「何か」が潜んでいた。

『誰だ?』

組織の人間だろうか。しかし目を凝らしても何がいるかは判らなかった。確かに気配はあるのに。

思わず銃を構える。此れが組織の幹部連中なら後で何かしら文句を言われるかもしれなかったが、生憎と其処にいたのは幹部の誰かでも、組織の人間や彼の仲間でも、何でもなかった。

ずるり、と。何かを引き摺る音が耳に届いた。
ずるり、と。何かが近づいてきている音が聞こえた。

それなのに姿は見えない。

一体何がいるというのか。FBI捜査官として様々な修羅場や現場を経験してきたが故に並大抵のものには恐怖など抱かなくなっていたが、赤井はその時、影に潜む何かに恐怖していた。

影で蠢く何かは赤井に対して確かに害意を向けている。

今、動けば、殺される。

既に赤井の頭の中にはスコッチを追う余裕など存在していなかった。此方に害意を向けている何かから逃げなければ其れだけしか頭になかった。

銃を構えてどれ程経っただろうか。時間を見ればそれ程経っていなかったかもしれないが、あの時の赤井にとってあの瞬間は永遠にも感じられた。

ふと気配が消えた。轟く音も聞こえなくなった。

『ッは、……は、何だったんだ、今のは……』

周囲を警戒しつつスコッチと少女の姿を探すが、当然ながらもう何処にも見当たらなかった。

──彼女が何かしたのでは、と疑っていたが先日の一件で疑いは確信へと変わった。

彼女の影から威嚇するように伸びてきた、異形の「手」。オカルトなどこれっぽっちも信じていなかったが己の目で見たのならば多少なりとも信じなければいけない。

まずは彼女から話を聞こう。赤井の姿は警戒されているだろうから、沖矢の姿で彼女に接触しよう。

「それで、よかったら沖矢さんも来ませんか?安室さんも!」
「──えぇ、よければ是非」

彼女と接触できる機会を見過ごしてたまるか、と沖矢の顔で赤井は笑った。
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