嫉妬


あっあーっ。誰にも知られず心の内で声を上げる。
あれは彼女が好いた人に渡すと言っていたもので、それを身につけているということは、つまり。





ニコニコと笑みを浮かべながらも此方に敵意を向けてくる太宰に、安室はつとめて冷静に口を開いた。

「──すみません。覚えがないんですが、」
「本当に?」
「……」

誤魔化すようにへらり、と笑みを浮かべてみたがそれは切り捨てられつい押し黙ってしまった。此れでは心当たりがあると公言しているようなものだ。

太宰の声が聞こえたであろう蘭と園子が気遣わしげに此方を伺っているのが視線で判った。突然始まった修羅場にコナンは気まずそうに口を噤んでいる。

心当たり、それはつまり自分の想い人のことなのだが彼女は好きな人がいると言っていた。
この男がそうなのか、と観察するように目を向ける。顔立ちは整っていると思うが纏う雰囲気が軽薄そうだとつい顔を顰めてしまった。

何かの間違いではないのだろうか。

「あの子は可愛らしいし優しい子だからね、君みたいに勘違いして近づいてくる輩というのはどうしても湧くのだよ。その度に追い払ったりしているし、あの子も拒否してるんだけど君のことだけは何故だか邪険に出来ないようだから私が出てきたんだけど──君、あの子に何したの。」

途中までは笑顔でつらつらと言葉を並べていた太宰だったが最後は真顔だった。

此方を見てくる目に宿るのは、無。底など無い昏い目が安室を見詰めていた。
その瞳に底知れぬ何かを感じ取り、安室はいつでも動けるようにと身構えてしまう。

何なのだ、この男は。恋慕というには余りにも重く、歪で。想い人には一切の穢れを抱いてほしくないと願う安室にとって、彼女にどろりとした感情を向ける男は相応しくない存在だった。

太宰の空気に飲まれているのか、蘭も園子も梓も何も言わないし動かない。安室の隣に座っているコナンも同様だ。もしもの時は自分が、と太宰の一挙一動を見逃さないように目を凝らしているとポアロの扉が勢いよく開いた。




走る、走る、走る、走る。然しけれども、影はずっとついてくる。
何処に行こうと、何処に隠れようと「其れ」はずっと千尋の足元に存在している。千尋の苛立ちに呼応するように影が揺らめいた。

「ッついてこないでよ!!」

無駄だと思っていても叫ばずにはいられなかった。街中で突然声を張り上げた千尋に何事かと視線が集まるがそれら全てから逃れるように足を動かした。

「其れ」はずっといた。生まれた時から、物心がつく前から。害なす全てから千尋を守るように。
然し千尋は「其れ」が嫌いだった。ずっとずっと傍にいて、勝手に動いては周囲を傷つけ千尋の意に反したことをする。

先程の件は助かったが、そうだとしても誰彼構わず人を傷つける己の異能力にいい感情は抱けない。そう考えると蘭や園子たちの傍にいるということが酷く恐ろしいことのように思えてきた。

勿論傷つけるなんてことはしないし、させるつもりなど無いが万が一のことがあってしまったら。

こわい。

只管足を動かす。只管走る。
何処に向かっているかなんて判らない。けれども此処ではない場所に行きたい。それしか考えていなかった。

ポアロ、の字が目に入る。随分と走ってきてしまったようだ。このまま家に帰ろう。
帰って、眠って、そうすればきっとこの恐怖も不安もなかったことに出来るから───。

見覚えのある砂色の外套が見えた。見覚えのある黒髪が見えた。
あ、と思った時にはポアロの扉を開けて中に入っていた。ガラン、と勢いよく開けてそのまま。相手も自分の存在に気付いていたようで立ち上がって軽く腕を広げていた。

「あ、千尋ちゃ……」
「おっと。今日は積極的だね」
「……治くん、」
「…大丈夫。千尋は何も心配しなくてもいいんだよ」

蘭に名前を呼ばれたような気がしたけれど、気の所為だと自分に言い聞かせてそのまま太宰の腕の中へと飛び込む。数日振りの太宰の匂いに包まれて、漸く安堵した。

ぎゅうっと力をこめて抱き締めれば、太宰も同様に抱き締めてくれる。伝わってくる温度と甘い声に先ほどまで抱いていた不安や恐怖がゆっくりと消えていく。

「千尋さん……?」

縋るように男に抱き着く千尋を見て安室の心の中は冷めていく。自分が考えていた回答の正解を見せつけられたような気がして唇を噛んだ。

みっともない嫉妬だとは判っている。判っているけれど嫉妬せずにはいられなかった。

すん、と千尋が鼻を啜る音が聞こえた。何があったのだろうか。慰めたいと思うが、彼女が求めているのは自分ではなく目の前の男だと判っているからこそ動けない。

ちらり、と此方に視線をやった太宰はそのまま何事もなかったかのように千尋の額にキスを一つ落とし口を開いた。

「お会計をお願い出来るかな?私の可愛い子の調子が悪いみたいだし、今日はこのまま失礼するよ」
「は、はい!」

動けない安室の代わりに梓が会計を行う。その間もずっと千尋は男に寄りかかるように立っており、安室の方へ視線一つも寄越さない。

常とは違う雰囲気の彼女に、園子が声をかけた。

「千尋ちゃん!また明日、色々と聞かせてね!」
「……うん、また明日」

園子の明るい声につられてか、千尋も微かに口角を上げて返事をする。

──その瞬間、蕩けるような笑みを浮かべていた太宰の顔から表情が抜け落ちた。それを目撃したのはきっと安室だけだろう。
本当に彼女を任せてもいいものなのか。と疑問に思った。
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