呼吸


「彼奴ならとっくに死んだぜ。手前が姿を消して、一年くらい後にな」

こきゅうのしかたをわすれた。




自慢の愛車を走らせながら、安室──降谷はポアロでの出来事が思い出す。

好きな人がいるから想いに応えられないと言う千尋は普段通りだったのに、降谷が相手のことを教えてほしいと言えば僅かだが顔を青くしていた。

それにはどうやらコナンも気付いていたようで千尋がポアロから出て行った後で大丈夫だろうかと心配していた。無論降谷も心配している。

単に実らない恋だからと悲しんでいるのか、それとも──よからぬ人間なのか。彼女が何か犯罪に巻き込まれやしないかと不安になってしまう。
その不安の種を摘む為にも教えてほしかったのだが、千尋は頑なに教えてはくれなかった。

「千尋さん、」

例え想いに応えてくれなくとも降谷は彼女のことが好きだ。こうして名前を呟くだけで愛しさが募るのだから相当だろう。

千尋がポアロで園子たちと楽しそうに話している時、真剣な顔で小説を読んでいる時、好物なのかカフェオレを飲んだ時に僅かに頬を緩ませた時。
思い出せば思い出す程、彼女を諦めたくない気持ちが湧きあがってくる。

千尋に好きな人がいるからと遠慮する必要はない、彼女が自分に好意を抱いてくれるようにするだけだ。
それならば先ずは、千尋の好きな人とやらを探らなければ。そう決めた降谷は、信頼できる部下に電話をかけた。

「風見か。調べてほしいことがあるんだが」





横浜。自室の寝室にてベッドの上に押し倒された千尋は自分を押し倒している太宰を見上げる。

両手は太宰に固定されており、太宰が馬乗りになっているので体を動かすことが出来ない。そもそも拘束されなくとも太宰の元から逃げるなんてことはしないのに、どうして太宰は泣きそうな顔をしているんだろうか。

「、治くん…?」
「千尋、君が好きなのは私だけだよね?他の何も必要ないだろう?──そうだと云って」

懇願するように言い放ちながら額と額を合わせる太宰。不安になることでもあったのだろうか、それとも自分がしてしまったのだろうか。

太宰がこうなってしまっている理由はさっぱり判らないが、一先ず安心させてやろうと口を開いた。

「治くんだけよ。私には、治くんだけがいてくれればそれでいいの」
「本当に?」
「本当よ」
「なら──君の脚を切り落としてもいいかい」
「貴方が其れを望むなら、」

一緒に歩く足が無くなってしまってもそれを太宰が望むなら。
嗚呼、でも。「友達」には一言だけお別れがしたい。

千尋の答えに満足したのか、太宰は千尋の両手から手を離す。そしてそのままぎゅうぎゅうと力一杯千尋を抱き締めた。
顔を胸に押し付けられて窒息してしまいそうな程苦しいけれど、此れで太宰の不安が消えるというのなら構わない。

自由なった手を太宰の背に回して、千尋も太宰に抱き着く形になる。太宰の鼓動の音が聞こえてきて何だか妙に眠くなってきた。

「治くん、このままお昼寝でもしよう。きっといい夢が見れるよ」
「……じゃあ、此れをつけよう!」
「え」

先程までの泣きそうな顔は何処にいったのか、満面の笑みで太宰が取り出したのは手錠だった。

何処に隠し持ってたんだ、という千尋が当然の疑問を抱いた時には既に手錠が片手にかけられた。もう片方は太宰の手首についている。にこにこと笑っている太宰に、千尋は拗ねたように口を開いた。

「…治くんに抱き締められたままがよかったのに」
「でもこうすれば何処にも行けないだろう?手錠が厭なら首輪もあるけど、どっちがいい?選ばせてあげよう」
「…手錠でお願いします」

自由になっている手で太宰に抱き締められつつ千尋は寝る体勢に入る。
とくん、とくんと耳に届く太宰の鼓動と胸いっぱいに広がる太宰の匂いに直ぐに瞼が重くなっていく。

起きたら、ご飯を作って。嗚呼、かいものにもいかないと。




すう、と寝息を立てている千尋を太宰はじっと観察していた。横浜に戻ってきた千尋をそのまま寝室へと連れ込んだのは、昨夜見た前世の記憶の所為だった。

自身が勤めていた探偵社に入った敦がポートマフィアに狙われ、彼らの狙いを探る為にワザと捕まった。囚人が入れられる地下室で再会した元相棒に彼女のことを聞けば死んだと聞かされた。

己を嫌うが故の悪い冗談か何かかと思っていたが、帽子を深く被り直した元相棒の姿に其れが嘘ではなく真実だと思い知らされた。

──嗚呼、私もひとだったのか。

抱いたのは約束を守れなかった後悔と、彼女を殺したであろう誰かへの激しい怒りと、そして彼女自身への深い深い恋慕だった。

死んでから気付くなど滑稽ではないか。もう彼女に、愛を囁くことなど出来ないのに。

「今度は、私が知らない場所で死なないで」

刷り込むように耳元で囁く。

死ぬ時は一緒に。その瞳に私だけを映して。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -