返事


「千尋さん。水族館のチケットを貰ったんです、よければ一緒に行きませんか?」
「これ、僕からのサービスです。食べてください」
「千尋さんが読んでる本、僕も読んでみたんですけどとても面白いですね!!」

矢継ぎ早に云われる言葉に千尋は曖昧な返事しか返せていない。
目の前に座っている安室はポアロのエプロンを脱いでいるが、先程までは働いていたので仕事が終わったという訳ではないだろう。

会話を楽しんでいた園子と蘭はいつの間にか少し離れた席に座っているし、助けを求めるように目を向けてもキラキラと輝いている目で見つめ返されるだけだ。

味方が、何処にもいない。その事実に少しばかり絶望しつつも千尋は意を決して口を開いた。

「…あの、安室さん」
「はい、何でしょう」
「急に、どうしたんですか」
「ふふ、僕、好きな人には尽くすタイプなんですよ」

甘さを過分に含んだ目で見つめられ、その居心地の悪さに千尋は視線を下へと動かす。
机の上に置かれているのは水族館のペアチケット。最近オープンしたばかりというこの水族館はかなり盛況しているようで、クラスメイトも何人か行ったと話しているのを耳に挟んでいる。

然しこの水族館にはエリスと森と行く約束しているのでこのチケットを受け取る訳にはいかないのだが、安室にとって受け取るというのは決定事項のようで千尋の手に取りやすいようにと置かれている。
其れに触れることなどせず、千尋はもう一度っ口を開いた。

「あの、安室さん」
「はい、何でしょう」
「私、好きな人がいるんです」

千尋の言葉に安室は笑顔のまま固まった。好きな人、という言葉に園子の黄色い声が小さく聞こえてきた。
ちらりと店内に視線を戻せばカウンターの向こう側にいる梓も顔を赤くして此方を見ている。

そういえば安室の公開告白の時に梓も居たので、その返事をすると思われているのだろうか。其れは其れで構わないがそんなに熱心に見られると少し言いにくい。

「……この前、園子さんたちとお話してましたよね。すみません、聞き耳を立ててしまって」
「いえ、其れはいいんですけど。その、」
「僕は逃げませんから、落ち着いて。落ち着いて、貴女の気持ちを教えてください」

大人の余裕を見せる安室。その表情は自分の告白が断られると微塵も思っていないようにも見える。
安室は顔も良いし、物腰も柔らかい。彼目当てに来店している女性客も多いことだろう。

憶測でしかないけれど、学生時代もそれはモテたのではないだろうか。自分から告白したことがないと云われても納得できるような気がする。

期待に満ちた目で見られて、今から云うことに罪悪感を抱きつつ千尋は小さく頭を下げた。

「…………ごめんなさい、私、貴方の気持ちには、答えられません」
「……その、好きな人とやらがいるからですか」
「はい」
「それは、僕ではないんですか?」
「はい、違う人です」
「そう、ですか…」

ひどく落胆した声に押し黙る。様子を伺っていた園子と蘭も千尋の想い人が安室だと勘違いしていたが故にこの展開に驚きが隠せないらしい。

嗚呼、此れで此処に来にくくなってしまった。
きっと安室は気にせず来てください、なんて云うんだろうけど千尋は気にする。かなり気にする。

告白されることには慣れているけど其れは大概関わりが薄い、記憶にも残っていないような人間ばかりで通い詰めている喫茶店の店員だなんて経験はない。

二人の間には暫く沈黙が降りていたが先に口を開いたのは安室だった。

「誰なのか教えてもらうこともできませんか?」
「そ、れは…」
「駄目ですか?千尋さんに相応しい男じゃないと諦められません!」

ぎゅ、と千尋の手を握りながらそう云う安室の目は本気だ。だが知ってどうするつもりだろうか。安室の本業は探偵であるときいているが、まさか太宰のことを調べるつもりなのか。

そこまで考えて千尋は顔を僅かに青くする。
別に調べられても疚しいことは何も無いので気にすることはないだろう。然し太宰は成人しており千尋は未成年。かつては同い年であったといっても今は年齢差がある。

成人男性が未成年の少女に手を出している。
二人の込み入った関係を省けば残るのはそんな単純な現実だ。安室は正義感が強いし、きっと何かしら云われることだろう。探偵なので警察に伝手もあるだろうし、若し万が一のことがあれば。

其処まで考えて千尋は絞り出すように声を出した。

「えぇ、っと。…ごめんなさい」
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