パプリカとチリペッパー
とんとんとん、と、ときどき乱れるリズムを聞きながら、花宮は背後から黒子に抱きつく。
黒子は反応一つ示さずに黙々と作業を続けた。それがどうにも面白くなく、頭に顎を乗せて体重を掛けてみる。
「花宮さん、動きづらいので退いてください」
「わかった、とか言うと思ったか? 思ってねえんだろーな」
「『わかった、とか言うと思ったか?』は言うと思いましたよ」
つまらなそうにひとの頭の上で舌打ちする男を鬱陶しがって黒子は首を振る。頭頂部からの圧迫は逃れられたが、腕は身体に巻き付いたまま離れない。
「今包丁使ってるんですよ? 危ないでしょう」
ざくりと黄色いパプリカを縦に割る。花宮は更に華奢な身体を抱き締めた。
「お前が料理ねえ。得意なのは?」
「ゆで卵ならすごく意外で想定外で信じられないけれど案外わりと家庭的で大抵のことはこなす貴方にも負けません」
「ふはっ。ならそれ以外は俺の勝ちってことだろうが」
少しぎこちなくパプリカが切られてゆく。鮮やかな艶のある黄色が細く分かれていくと、最後の二つは少し太めになってしまった。ご愛嬌だろうと細切りにしたそれを皿によけ、今度は真っ赤なパプリカに手をつける。
「で、そんな卵茹でるしかできねぇ黒子テツヤクンは何で他の料理してんだ?」
「今のちょっとイラッとしたので近くの公園に散歩に行って帰って来ないでください。そして僕が料理をしているのは今日が貴方の誕生日だからです」
「そういう意味じゃねえよ」
前半部分をまるごと黙殺して身体への拘束を緩ませる。密着することをやめた腕は、しかし首に回って弱く喉を締め付けた。
「何で卵茹でるくらいしかしねぇお前が何でこんなにいろいろ作れてんだよ。恋人のためにレシピチェックか? 健気だな」
「火神君と水戸部先輩直伝ですから、レシピ暗記も同然です」
「……………」
ぐっと眉を寄せた男に黒子は無表情の下で笑い、細めの包丁を握り直す。
「てめえ彼氏以外の男と何やってんだ」
「だから料理教えてもらったんですよ。あと体重かけないでください」
置いた顎を退かす代わりにきつく抱き締めるというよりきゅっと締め上げると小さな踵がぎゅっと背後にある足の甲を踏みつけた。
「花宮さん、いい加減にし……、」
ぱっと突然パプリカを抑えていた手を引く黒子に、花宮もすぐさま身体を離してその手首を掴んだ。
「あ……」
どこか気の抜けた掠れた声を落として黒子が花宮に引かれる。それが合図のように、白い人差し指の腹に走った赤色から、同じ色の玉が浮かんだ。
ぷくりと滲んだ血の雫を目の当たりにして、黒子は花宮を振り払おうと身をよじる。
「救急箱貸してもらえ……」
言葉が途切れたのは本日二度目。
目を見張る間に、傷ついた指先が彼の口腔へと消えていた。
赤い赤いパプリカが落ちて、空洞になっている自身の中身へ軽い音を響かせる。
「ちょ……」
生温かいそれが傷口を這う度ちりちりと痛む。黒子の手首を余裕で一周する長い指は、しっかりと服の上から皮膚に食い込んでほどけない。
列歯が間接を噛み、舌が爪を撫でる。最後に見せつけるように傷を舐め上げて、花宮は手の力を抜いた。
黒子は直ぐ様手を払い、きつく目の前の男を睨みつける。
「馬鹿なんですね変態ですね馬鹿な変態なんですね!」
「俺が馬鹿な訳ねえだろバァカ」
嫌な笑みと共に舌を出してやると、黒子はますます赤くなってシンクへばたばた歩く。
「貴方のせいです」
「だから消毒してやったろ」
「傷口からイヤな性格がうつります」
「とことん嫌味なやつだな。そんだけ顔赤いと説得力ねえっての」
視線を合わせず水を流し続ける黒子を笑い、落ちたパプリカを拾い上げた。
「水仕事以外はやれよ」
「もうイヤです。貴方がやればいいでしょう」
「お前が俺の為に料理教わって俺の為に野菜切って俺の為に指切ったんだろ? 最後までやれよ」
「貴方のせいで、です」
唇を尖らせる恋人に赤い野菜を放り投げたら、濡れた手と乾いた手で受け止められる。鮮明な赤い皮に水滴が伝ってフローリングに落ちた。
「やれよテツヤ」
「………」
流しっぱなしの水で、なめらかな表面を洗い流す。
黒子は返事の代わりに、自分の顔と同じ色をしたパプリカを相手の顔面へ投げつけてやった。
パプリカとチリペッパー(苦くて辛くて結局美味しい) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
花宮誕
2013/01/12 初出
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