propose/garnet




「おい、レオ!!」



スコーン。

呼ばれて振り向いたレオナルドの額に、何かが命中した。前髪は何のクッションにもなってくれなかった。

飛んで来て自分に命中し、後は重力に従って落ちていくものをレオナルドは右手で何度か弾き受け止めた。新人ピエロのジャグリングを思わせるが、空いた左手はじんじんと熱を持つ額から離せないままだ。肩に乗ったソニックが、小さく鳴きながらおろおろと前足をレオナルドの頬に置く。

昼食の帰り、異界人たちといくらかの人類が入り乱れる雑踏の端で、突如としてザップの暴挙は実行された。今日はツェッドに私用があるというので二人きりだったため、レオナルドの味方はソニックしかいない。群衆は無力な少年に対して常に冷淡だ。

羞恥と怒りによる頬の熱を誤魔化して掌のそれに視線を落とせば、クリーム色をした紙製の小箱だった。子供の拳大のそれは少し上等そうで、レオナルドの額を高らかに打ち鳴らしたにも関わらず凹んだり蓋が開いたりもしていない。

「………あんた、本当なんなんだもう!」

「あーっ、バカ!!」

苛立ちを動力源として投げられたものを振り被れば、元凶であるザップが顔色を悪くして慌てだした。その調子が本当に切羽詰まっていて、レオナルドもぎょっと頭上のそれを見上げる。まさか何かやばいものなのでは、と振り上げた腕が一度ぶれた。

「バカヤロウ!! 何投げようとしてんだ!」

「はっ、はああああ!? あんた何言ってんだ!」

棚上げも甚だしい。やっぱりぶん投げてやろうと箱を握る手に力を込めると、ザップの食指がびっとレオナルドを指した。擦りきれた爪の先が眉間の中心を捉える。

「いいか!? 返却は認めねえかんな!!」

「はあ!?」

レオナルドはそこでようやく腕を下ろした。何のことはない、疲れたからだ。生憎怒りは収まっていない。

しかし腕を下げてから始めて苛立ちよりも、箱の中身への興味が上回った。さほどの重さもなければ音も出ない。投げられるというぞんざいな扱いを受けた物であるせいか、レオナルドの丸い指先が躊躇いもなく蓋の縁に掛かる。

「あ゛ーーーーーっっ!!!!」

「うわっ、ちょ、何だよ!」

「開けんな!!」

今度は声も出せずレオナルドは顔を歪める。ザップの必死の形相に思わず後ずさった。叫んだせいか、彼の褐色の肌がうっすら赤い気がする。

「今開けんじゃねえ、いいか、開けんなよ。あ、事務所もダメだ、むしろ事務所が一番ダメだ。い、家とかで開けろ」

「………はあ?」

「分かったな!」

「あっ、ちょっと!」

ザップはそれだけ叫ぶと、短い上着の裾を翻してだあっと走り、人混み、というには人外が多い坩堝の中姿を消した。すごい勢いだった。事務所の方向とは真逆だというのに、レオナルドに引き留める暇すら与えてくれなかった。

「……何だってんだよ」

レオナルドは途方に暮れて手の中の正方形を見つめる。

取り敢えず、事務所でスティーブンにどう説明しよう。







「こんちわーす」

翌日、午前中のバイトが終わって事務所に顔を出したレオナルドの目にしたものは、ソファーの背もたれから出ている白銀の頭がびくっと揺れて、ずるずる隠れるように背もたれの向こうへ消えるまでの一部始終だった。

「何やってんすか、あんた」

「うっ…るせぇよ」

ずり下がった身体をソファーの上に戻すザップに、近付いたレオナルドは飼っている犬が謎の行動をしだしたときのような目付きをした。

昼時であるせいか、ザップ以外の構成員は全員出払っている。そのことに微かな安堵の吐息を零して、レオナルドはいつもならソニックの体温が近い首筋をさすった。今日はあの小さな友人は何処かへ出掛けていて、温い空気が肌をひやかす。

「ザップさん、昨日の」

「黙れ」

食い気味の拒絶に気圧されたレオナルドは、座っているザップを動揺したまま見下ろした。

だから銀の波の隙間から覗く赤い耳を、運悪く、視覚で認めてしまった。

「………何も言うな」

「……あんた、ほんとに何なんすか」

「うるせえ! 昨日のことは何も言うんじゃねえ! 最初の一音出した瞬間ぶった斬るかんな!!」

このひとって言ってることの意味考えて喋ったことあんのかな。レオナルドは職場の先輩もとい恋人の脊髄反射で生きてます感が心配になった。

「何も言うな、反応すんな、お前は黙っ――……っおい、てめえ!!」

いきなりザップの眦がきつくなった。バン! とテーブルを固い掌が打ち、置いてあった空のマグカップがきっかり一センチ浮いて着地する。あまりの剣幕にレオナルドの肩がびくついた。

「な、何すか」

「なんっ……で着けてねえんだよ!!」

「は」

ザップの視線はレオナルドの左耳を通っていたため、レオナルドは自分の左後ろを振り向いた。ぴたりと視界の中心に留まったのは、耳を塞ぐために上げていた自身の左手。指が長いわけでも肌が綺麗なわけでもないそれは、いつもの自身の掌と変わりない。

「ざけんなこの陰毛! 何で嵌めてねんだよ、まさか断る気か!? それこそ断る! 断るのを断る! お前に拒否権があると思ってんのか!!」

「ちょっと、落ち着いてくださいよ……ちゃんと持って来てんですよ、ほら」

レオナルドのポケットから出たクリーム色の箱に、ザップはついさっきまでの勢いを急速に失って顔を歪めた。迷子の子供が知らないひとに声を掛けられたような、母親に悪戯を見つかった子供のような、情けない、稚く緊張した顔だ。

「………………、だったら、おめー、何で着けてねんだよ……」

薄い唇を尖らせてまたザップがソファーに沈む。

「拗ねないでくださいよ」

「はああああ? 拗ねてねえし。意味わかんねえし」

このひとはこんなに馬鹿でいいのだろうか。

むくれたまま銀髪を掻き回すのザップの左手に、今度はレオナルドの目が奪われた。その薬指には、小さなガーネットが一つ埋め込まれたVラインの指輪がある。あの小箱に眠っているものと、まったく同じデザイン。

レオナルドの目線の行き先に気付いたザップが、はっとした顔で左手をポケットに突っ込んだ。長い指の何本かがポケットの縁に引っ掛かってぐきっと嫌な音をたて、ついでにポケットの縫い目からぶちっと糸が切れる悲鳴も聞こえた。

「……指大丈夫すか」

「…っう、ぐ、…はあ? 何が? 全っ然痛くねぇし」

「……大丈夫ならいいです」

明後日を向くザップとの間に居心地の悪い沈黙が始まって、レオナルドは両手で箱を包み込む。縁を撫でる人差し指の腹が、往復を繰り返し過ぎて擦れそうになってからようやく声帯が息を吹き返した。

「……ザップさん」

「……おう」

名前を呼んでから、レオナルドはその先の言葉を用意していないことに気付く。

「……何でこんな、らしくないことしたんですか」

言っている最中からもう後悔して、言い終わった瞬間にレオナルドは今の無しと叫びたくなった。目の前でみるみる不機嫌になっていくザップに弁明したい。

「うるっせぇなあ!」

「ザップさん、その、だって」

「普通に渡したっておめーどうせ、断るだろーが!」

今度こそ泣きそうになって、レオナルドは眉を下げる。手の中の箱が感情を助長している気がして、少ない面積の掌で隠すように包み込んだ。らしくないことっていうのは指輪を渡してきたことであって、指輪を投げたことじゃないですと喉の奥だけで反抗する。ザップはまた苛立った、気まずいものを見た表情を浮かべた。

ぐい、と覗き込むように距離を詰め、ザップはそのままレオナルドの胸ぐらを掴んで更に身体を引き寄せた。

「あのなぁ、お前、この俺がここまでしてやってんだぞ。素直に喜べよ」

「でも、俺は」

「知ってるっつーんだよ、だからよぉ」

伏せられていたレオナルドの目蓋が上がる。鮮やかな青がザップの暗い赤を照らした。

「眼だとか、妹ちゃんのことだとか、全部わかってんだよ。それが断る理由になると思ってんのか」

がさつで、けれど繊細な仕事をする指がレオナルドの手に乗った箱の蓋を取り上げる。零れ落ちる青い光を映す柘榴の石は、丁度今のザップの瞳と同じ色合いだ。

その眼が真っ直ぐ自分を見つめているのにレオナルドはひどい違和感を覚えた。一途なんて似合わない癖に、何より彼にそうさせている自分が不思議でならない。

ザップが乱暴にレオナルドの左手を掴む。普段女を相手にするときとは真逆の、色気も何もない無遠慮な触れ方だ。薬指の付け根に、浅く爪が立てられる。

「だから、全部よこせ」

「………」

「お前の全部丸ごと俺によこせ。代わりに俺のも丸ごとくれてやる。なあ、最高だろ?」

そうしてザップは初めて笑って、悪戯っぽく皮肉げに、艶もそれ以外も全部詰め込んだようなキスを薬指の腹に贈った。熱い吐息に竦む関節を無理やり伸ばして、銀色の輪を通していく。

自分の指に光るそれに、レオナルドは瞬きを繰り返した。慣れない感触を皮膚で感じながら、眼の奥に滲んできた熱を誤魔化す。

「……随分と、まあ、クレイジーですよ、そんなん」

お互いの人生が、ろくなものでないとわかっているのに。馬鹿の所業過ぎて声が出ない。

「……でも、最高っすね、それ」

「だろ?」

白い歯を見せた笑い方にレオナルドは、あ、好きだなと思った。そんな仕種にすらときめいてしまった気恥ずかしさを打ち消して、ザップの手に弄ばれる自分の左手へと目を逃がす。幅が少し広い輪はザップが着ければ悪ふざけのように軽薄で、その癖度数の高いアルコールが揮発するように官能が漂うというのに、レオナルドの指では子供騙しのおもちゃのようだ。しかし、悪くはない。

「指輪とかなあ、お前以外にぜってえ渡さねえんだぞ俺は」

これ以上涙腺を刺激しないでくれとザップの口元を覆うレオナルドの手を捕らえ、聞け、と低く声をひそめる。

「俺ぁ結婚の誓いなんざ勝手にやってろって感じだし、むしろ気違いの所業だと思ってっけどな。見たこともねえ神に何誓ってんだ馬鹿じゃねえのって感じだ。それもこんなくそイカれた街でよ」

「……ほんとクズだな、あんた」

うるせ、と口先で言い捨てて、ザップは指輪の上の肉に犬歯を押し付けた。

「だからこれは俺がお前に誓ってやったシルシだ。首輪だ。お前も俺に誓え」

「………首輪って」

「お前みてーな危なっかしい奴にゃぴったりだろ」

「あんたみたいな狂犬にはぴったりすね」

ごん、と互いに冗談半分の頭突きを交わす。合わさった額から交換された熱が、心地好く広がってゆく。

レオナルドは笑った。ろくでもない男だ。子供が大人の身体を手に入れて、馬鹿なところばかり真似てしまったようなちぐはぐなひと。なのにこんなに好きだなんて、自分はきっとこの街に来て頭のネジが数本飛んだのだ。こんな自分に誓ってくれる彼に関しては、飛んだネジがおかしなツボに刺さったに決まっている。

「誓ってやりますよ」

ここへ来るとき、自分の心だとか人生だとかの一部を捨てて誓いを立てた。愛する妹に望まれていないと知りながら。

レオナルドは無駄な肉のついていない、男の左手の薬指に甘く噛みついた。

今度は自分のすべてをひっくるめて、目の前の男に。

もうきっと、何があったってこの温かな手を放せないのだろうから。

「――ありがとうございます、ザップさん」

「………、はーっ、これだから童貞はよお。そこはフツーザップさん大好きっつうとこだろうよ」

「ザップさん、大好きです」

飛び込むように抱きついてきたレオナルドに、ザップは錆びたブリキになった。

それから長い腕を回して、小さな身体をぎゅうぎゅうと自身の心臓へ近づける。互いの心臓が、一緒になったのは錯覚じゃない。急所は、もうとっくに同じだから。



「イカれたプロポーズに乗っちゃったもんだなあ!」

「今更放しゃしねえかんな、ベイビー!」




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